7歳の頃、出家して林泉寺に入りますが、その時の名は不明です。
兄の片腕として働くために、14歳の時に還俗させられて、長尾平三郎景虎を名乗ります。その後、いつの頃からかわかりませんが、弾正少弼景虎を名乗ります。
32歳の時に関東に攻め込み、鎌倉の鶴岡八幡宮にて、関東管領上杉憲政から、管領職と上杉姓と政の字を譲られて、関東管領上杉政虎を名乗ります。
しかし、翌年には、将軍足利義輝から輝の字を名乗る事を許されて輝虎と改名します。そして、42歳の時に不識庵謙信を名乗り、45歳の時に剃髪して法体となります。
景虎を名乗っていたのが14歳から32歳までの17年余り、政虎を名乗っていたのが1年余り、輝虎を名乗っていたのが33歳から42歳までの8年余り、謙信を名乗っていたのが42歳から49歳で亡くなるまでの6年余りという事になります。
ちなみに、武田晴信が信玄を名乗ったのは39歳の時で、北条氏康が万松軒を名乗ったのは45歳の時でした。関東の地を争った三人の年齢を比較してみますと、万松軒が1515年の亥年生まれ、信玄が1521年の巳年生まれ、謙信が1530年の寅年生まれです。
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