2009年09月01日

「嘘だ、嘘だ、嘘だ!」と誰かか騒いで、ワァッと泣き始めた

天明三年浅間大焼 鎌原村大変日記 28.七月八日」より



 何となく、浅間山がぼやけているように見えた。寝不足で目がかすんで来たかと目をこすった時だった。物凄い強風が浅間山の方から吹いて来た。とても立ってはいられない。市太は身を伏せ、這いながら、おろくたちの方に向かった。

 女衆がキャーキャー騒ぎ出した。ドサッと何かが倒れ、バリバリッと木の枝が折れる音がした。誰かが怒鳴っているが風の唸りで聞こえない。信じられないが、その強風は熱かった。熱風が浅間山から吹いていた。このままだと着物が燃えてしまうのではと思えるほど熱かったが、熱風はすぐに治まった。

「一体(いってえ)、ありゃア何だったんだ」

 市太は顔を上げるとおろくと三治を見た。三治が市太の顔を見て、急に笑い出した。強風で元結(もっとい)が切れてザンバラ髪になっていた。おろくも笑って、自分の頭巾を脱いで市太に渡した。

「いいよ。おめえが被ってろ」

「だって、その頭じゃ恥ずかしいでしょ。石が降って来たら返してもらうわ」

「そうか」

 市太は頭巾を被って、ザンバラ髪を隠した。回りを見ると石燈籠(いしどうろう)や石塔(せきとう)が倒れ、折れた太い枝があちこちに落ちていた。幸い、怪我人はいないようだ。

 浅間山を眺めると今度ははっきりと見えた。黒煙を吹き上げ、馬鹿にしたように黒い舌を出している。しばらく、ざわついていたが、強風も治まり、何事もなさそうなので、女衆は安心して座り込んで、また拝み始めた。

 市太はもう行こうとおろくを促したが三治が言う事を聞かなかった。じっと拝んだまま、動こうとはしない。

「まあ、いいか。うちに帰ったって潰れちまったんじゃアしょうがねえ。ちょっと話があるんだ」

 市太はおろくを誰もいないお堂の裏の方に誘った。

「叔父さん、大丈夫かしら」

「みんながいるうちは、ああやって拝んでるだんべ。心配(しんぺえ)ねえ」

 おろくはうなづいて市太の後を追った。観音堂の裏は深い森になっている。森の中に少し入って切り株に腰を下ろすと市太は手を差し出した。

 おろくは笑い、「なアに、話って」と市太の手を握る。

 市太はおろくの手を引っ張り、抱き寄せて、自分の膝の上に乗せた。

「ダメよ。誰かに見られたらどうするの」

「見られたっていいじゃねえか」と市太はおろくの口を吸う。

 しばらく抱き合っていたが、ガサガサという物音で、おろくは慌てて市太から離れた。

「鳥が飛んでっただけだ」

「だって、みんなが真剣に拝んでるのに」

「俺たちだって真剣さ。話ってえのは、うちの事だ。武蔵屋の前(めえ)に貸本屋を作るって言ったんべ。でもよう、どうせ建てんなら、武蔵屋の前だんべが、おめえんちの土地だんべが同じこった。あそこに貸本屋を建てりゃアいい。みんなが一緒に暮らせるようなうちをな」

「そうなれば嬉しいけど、そんなにうまく行くかしら」

「祭りが終わる頃にゃア、きっと、うまく行ってるよ」

「お祭りできるのかしら。うちをなくした人も多いし、怪我した人もかなりいるみたいだし」

「だからこそ、景気づけにやらなきゃアならねえんだよ」

「今晩はお稽古ができるといいのにね」

「もう大丈夫だんべ。さっき、熱風が吹いたんはお山の腹ん中が空っぽになったのかもしれねえ」

「そうか。そうよ、きっと。もう、あんな恐ろしい目に会わなくてもすむのね」

「もういらねえ。ぐっすり眠りてえよ」

 しかし、そううまい具合には行かなかった。ドガーンと耳をつんざく音が鳴り響き、また、お山が大爆発を起こした。市太はおろくを抱き寄せ、森から飛び出すと身を伏せた。大きな揺れも始まった。お堂がミシミシ唸っている。

「ここも危ねえ」

 二人はお堂の側から離れて、表の方へと向かった。女衆は恐怖に脅(おび)え、顔を引きつらせて身を伏せている。やがて、砂や石が降って来た。市太は頭巾を脱ぐとおろくに被せた。キャーキャー騒ぎながら、女たちは若衆小屋を目がけて走り出した。市太とおろくも後を追う。若衆小屋は人であふれていた。

 石はすぐにやんだ。その代わりに今まで聞いた事もない音が響き渡った。

「ヒッシオヒッシオヒッシオ」と何かが押し寄せて来る音だった。

 何事だと人々は耳を澄ましながら小屋から出て、観音堂の側まで行って浅間山を眺めた。何と浅間山が見えなかった。そして、黒い大きな固まりが煙を上げながら、こちらに近づいて来る。

「お山が動いている」と誰かが叫んだ。

「大変(てえへん)だ、大変だ、逃げろ、逃げろ」と皆、騒ぎ出した。

 騒ぎ出したが皆、どうしていいかわからず、オロオロしている。市太はおろくの手を握ったまま、じっと正体不明な物を見つめていた。

「一体、ありゃ何なんでえ。お山が動くわけがねえ。煙は出てるが火のようでもねえ」

「あっ、叔父さんがいない」おろくが叫んだ。

「なに」と市太は回りを見回す。

 青ざめた女たちの顔が目に入るが三治の姿は見当たらない。

「叔父さん」と叫びながら、おろくは若衆小屋の方に行った。市太も後を追った。

 小屋の中には誰もいなかった。小屋の回りや観音堂の裏も見たがいない。

「どこ行っちゃったんだろ」

「大丈夫さ。三治が一人でいるのを誰かが見つけて、うちまで届けてくれたんだんべ」

「それならいいんだけど‥‥‥」

「うちに帰ってみりゃわかるさ」

 市太とおろくが帰ろうとして石段の方へ向かうと黒煙が観音堂のすぐ側まで来ていた。

 ゴーゴーという唸り声とパチパチと何かが弾けるような異様な音が響き渡り、ドスーンと何かが当たったような音が響き渡った。大地が揺れ、観音堂は煙に包まれて、何も見えなくなった。揺れはしばらく続いた。

「一体(いってえ)、どうなってんでえ。お山がここにぶち当たったのか、畜生め!」

「若旦那か」と煙の中から声がした。

「半兵衛か」と市太は聞く。

「そうじゃ。大丈夫か」

「ああ、大丈夫みてえだが」

 煙だと思ったのは土埃だった。やがて、消え、半兵衛の姿が見えた。

「若旦那、その面は何でえ。まるで、河童(かっぱ)が娘っこを手籠(てご)めにしてるようだぜ」

「なに言ってやんでえ。それより、半兵衛はどうして、こんなとこにいるんだ」

「人手が足らなくてな、誰かいねえかと捜しに来たんじゃ」

「そうか。馬の方は足りたのか」

「ああ、大丈夫だ」

「大変だ、大変だ、みんな、来てくれ」

 誰かが石段の所で怒鳴っていた。若衆頭の杢兵衛だった。

 おろくを立たせ、市太が半兵衛と一緒に杢兵衛の所に行くと杢兵衛は何も言わず、石段の下を指さした。

 見るとそこには信じられないものがあった。石段が十五段しかなかった。そこから先は土砂で埋まっている。辺り一面、土砂が広がっていて鎌原村は消えていた。土砂は乾いていて、所々に大きな石や黒い焼け石、樹木の枝や太い幹(みき)が混ざり、ゴロゴロと転がっているのもあった。

「まさか」と市太もおろくも半兵衛も自分の目を疑った。

 こんな事が起こるはずはない。絶対に信じられない。ここまで土砂が来ているという事は、村はすべて埋まってしまったという事だった。観音堂にいた者たちも集まって来て、石段を覗き込んだ。

「嘘だ、嘘だ、嘘だ!」と誰かか騒いで、ワァッと泣き始めた。

 百姓代の仲右衛門が人込みを押し分けて顔を出し、「何だ、こりゃア」と叫ぶと石段を下りて行った。十五段の所で立ち止まって遠くを見回し、「おーい、みんな、大丈夫か」と叫ぶと、よろけるようにしゃがみ込んだ。

 それを見ていた杢兵衛は腰が抜けたようにヘナヘナと崩れた。おろくも急に気が遠くなったように市太の腕の中に倒れ込んだ。



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2009年08月16日

地獄絵でも見ているような浅間山の噴火

天明三年浅間大焼 鎌原村大変日記 21.六月二十八日」より


 ようやく、ウトウトしだした頃だった。雷が落ちたような物凄い音がして、寝ていた体が飛び上がる程の大揺れが起きた。

 市太は慌てて隣の部屋に声を掛けた。

「おい、大丈夫か」

「兄ちゃん、怖いよう」

「早く、外に出るんだ」

 市太は妹のおさやとおくらを両脇に抱えて外へと向かった。小揺れが始まった時、明かりはすべて消したので、家の中は真っ暗だ。囲炉裏の辺りから兄、庄蔵が叫んだ。

「早く、外に出ろ。市太、爺さんを頼むぞ」

 市太は二人の妹を中庭に出すと、すぐに離れにいる市左衛門の所に行った。声を掛けると、すでに市左衛門は縁側から外に出ていた。祖父を連れて中庭に戻ると皆、集まっている。廐(うまや)の馬が脅(おび)えて騒いでいた。叔父の弥左衛門が甥の五郎八を連れて廐に向かった。

「おめえたちは村を回って、火の用心を確かめて来い」

 父親に言われて、市太と庄蔵は表通りへ飛び出した。

 真っ暗の中、人々があちこちでざわめいている。馬のいななきと野良犬の鳴き声がやかましい。市太はおろくの事が心配になって来た。寝たきりの母親と盲目(もうもく)の兄、アホの三治を抱えて、無事に家から出られただろうか。俺はこっちに行くと言って、さっさとおろくの家に向かった。

 浅間山はゴーゴー唸り、大地の揺れは続いている。まるで、酔っ払っているかのように足元がおぼつかない。おまけに空から砂が降って来た。

「火の用心、火の用心」と叫びながら、市太はおろくの家に走った。惣八に声を掛けられ、惣八にも見回りを頼んだ。

「わかった」と言うと惣八は市太と反対の方に走って行った。

 おまんの家に行くつもりかと思ったが、他人の事まで構ってはいられない。おろくの家の前には誰もいなかった。

「おろく、大丈夫か」と叫びながら、市太は家の中に入って行く。暗くて、何も見えない。馬が騒いでいるだけで、声を掛けても返事はなかった。

「おい、若旦那か」と声を掛けられ、入り口の方を見ると男が立っている。

「誰だ」

「俺だ。半兵衛だ。みんな、裏庭の方にいる」

「おっ母も大丈夫なのか」

「ああ。俺がおぶって連れ出した」

「そうか。よかった」

 裏庭に行くと寝かされた母親の回りに皆が座り込んでいた。

「みんな、大丈夫か」と市太が聞くと、「ええ、大丈夫」とおろくは言った。

 脅えているのか、その声はやけに沈んでいる。誰もいなかったら、抱き締めてやりたいがそうもいかない。

「そうか、よかった」市太は一人うなづくと、「半兵衛、みんなを頼む。俺は一回りしてくらア」と通りの方に出た。

「火の用心、火の用心、みんな、大丈夫かア」とあちこちで叫んでいる。

 若衆組の者たちが見回りをしているようだ。市太も走り出した。浅間山の方を見上げると時折、雷のように光を放っている。その光によって、真っ黒な煙がモクモクと立ち昇っているのが見えた。まるで、地獄絵でも見ているような、何とも恐ろしい光景だった。このまま、この世が終わってしまうのではと思わせる不気味な眺めだった。


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2009年08月02日

織田信長の狂気

時は今‥‥石川五右衛門伝 5.地獄絵」より信長の狂気


 八月十七日、見世物(みせもの)好きな信長がまた、見世物を催した。一月前の華麗な見世物とは打って変わって、今回は残酷極まりない下劣(げれつ)な見世物だった。

 信長に逆らった高野山(こうやさん)に対して見せしめのため、旅の聖(ひじり)たちを片っ端から捕まえて、安土に連れて来た。その聖たちを琵琶湖畔で処刑するというのだった。信長自身は出て来なかったが、信長の小姓(こしょう)たちによって、百人余りの聖の首が次々に飛ばされ、琵琶湖の水は真っ赤に染まった。

 まだ幼い顔をした小姓たちは、悲鳴を上げながら助けを求めている聖たちを捕まえては無表情に斬り殺して行った。その光景はなんとも恐ろしいものだった。彼らは信長に命じられれば、どんな事でもためらいなくやってしまうだろう。

 大勢の見物人は、ひどい、むごすぎると言いながらも、興味深そうな顔をして残酷な見世物を楽しんでいた。若い娘たちの中には、小姓の名を叫び、キャーキャー騒いでいる者もいる。

 夢遊は馬鹿な娘たちを見ながら、顔を歪めると天主を見上げた。信長があそこから、この光景を眺め、不気味に笑っている姿を想像して、背筋がゾッと冷たくなるのを感じた。

 信長は狂っているのかもしれないと夢遊は思い始めていた。

 信長の残虐性が現れ出したのは十年前の比叡山(ひえいざん)の焼き打ちの時だった。あの時は比叡山が朝倉氏と浅井(あざい)氏と結んで、信長に敵対したため、戦なのだから仕方がないと思った。また、夢遊自身もやりたい放題の比叡山には反感を持っていて、いい気味だと思っていた。

 朝倉氏を滅ぼした後の落ち武者狩りも凄(すさ)まじかった。捕まえた落ち武者を片っ端から斬り殺して死体の山を次々に築いた。その時も、夢遊は戦だから仕方がないと思った。

 伊勢長島の本願寺一揆の二万人にも及ぶ大量殺戮(さつりく)、越前の本願寺一揆の三万人余りの殺戮も、ひどすぎるとは思ったが、信長を苦しめ続けたのだから、仕方がないのかもしれないと思った。

 しかし、一昨年(おととし)の荒木村重一族の殺戮は夢遊も残酷すぎると思った。村重の妻を含めた女子供たち三十六人を京都引き廻しのうえ六条河原で斬り殺し、有力家臣たちの妻や娘など女ばかり百二十人を尼崎で磔(はりつけ)にして撃ち殺した。さらに、その他の家臣や女子供たち五百人余りを四軒の家に押し込めて焼き殺してしまった。信長は狂ってしまったのかと思える程、残酷な仕打ちだった。

 その後、夢遊はお茶会に呼ばれて信長と会った。直接、話をしてみると、別に狂っているような素振りはなく、まともだった。怒りが爆発すると、本人も気が付かない程に残酷になってしまうのだろうと思った。

 去年は残酷な面を見せる事なく、始終、機嫌がいいようだった。暇さえあれば、鷹狩りや相撲興行をやっていた。ところが、今年になって、また、残酷な面が顔を出して来た。

 四月の中頃、信長が竹生(ちくぶ)島に参詣した日、留守中に遊んでいたと言って、泣き叫びながら謝る侍女(じじょ)たちを次々に斬り殺した。そして、今回の高野聖の処刑だった。ハ見寺が信長自身を祀った寺だと知った時から、夢遊は何かいやな予感がしていた。信長の心が少しづつ、狂気に蝕まれつつあるような気がしていた。


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2009年07月26日

絹市に切断された女の足が‥‥‥

国定忠次外伝・嗚呼美女六斬 第1部―7.境宿の絹市」より絹市に切断された女の足が‥‥‥


「ねえ、あれ、何かしら」とおちまが通りの向こうを指さした。

 この店の娘、おちまは小柄で何もかも小さかったが、うまくまとまっていて可愛らしい。研師の音吉といい仲で、斜(はす)向かいにある太物屋の娘、おゆみの恋敵(こいがたき)だった。

 おちまが指さす方を見ると真向かいにある煙草屋と右隣にある絵師、金井研香(けんこう)の家の間に筵(むしろ)にくるまれた何かが置いてある。あちこちにゴミが散らかっているので、よく見なければ気づかないが、その筵は何かがくるんであるように見えた。

「誰かの忘れ物ね」とお政が言った。

「きっと、絹糸よ。あんなとこ置いといたら盗まれちゃうわ」と言うなり、お美奈は筵の所に飛んで行った。

「おい、ちょっと待て」と久次郎は止めたが、おちまもお栄も飛び出して行った。

「どうしたの」とお政が久次郎の顔を見た。

「中身は長脇差(ながどす)に違えねえ」と久次郎はお政に言った。

「長脇差?」

「誰が何の目的があって、あんなとこに隠したか知らねえが、ありゃア長脇差に違えねえ」

 久次郎も店から出て、通りを眺めた。さっきまでの喧噪が嘘のように、いつもの宿場に戻っていた。高札場の回りで、子供たちが追いかけっこをして遊んでいる。

「キャー!」とお美奈たちの悲鳴が響いた。

 久次郎が三人を見ると娘たちは顔を背けるようにして筵を指さしていた。悲鳴を聞いて近所の者たちが何事かと顔を出した。

 久次郎は娘たちに近づくと筵を見た。筵の間から、白い足の裏が覗いていた。

 そんな馬鹿な、と筵を開いてみると根元から切られた足が転がり出て来た。切り口には血の混ざった塩が固まり、半ば腐っているのか異臭を放っている。

「キャー!」と久次郎の後ろから覗いていたお政が悲鳴を上げた。

 おちまが口を押さえながら家の方に帰って行った。

 久次郎は鼻をつまむと切られた足をよく観察した。変色し変形もしているが女の左足に間違いない。何かで打たれたのか、ミミズ脹れのような傷が何本もあり、足首を縛られていたのか縄の跡が残っていた。

 悲鳴を聞いて、やじ馬たちが集まって来た。女たちの悲鳴が何度も響き、下町で休んでいた伊三郎の子分たちもやって来た。

「どいた、どいた」と人をかき分け、転がっている左足を眺め、「何でえ、こりゃア」と言ったきり、しばらく、声が出ないようだったが、久次郎に気づくと、「おめえは百々一家の野郎だな。何で、こんなとこにいやがるんでえ」と怒鳴った。


侠客国定忠次一代記  江戸やくざ列伝  国定忠治を男にした女侠  <新国劇 極付 国定忠治  八州廻りと博徒  
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2009年07月19日

捕虜になるぐらいなら死んだ方が‥‥‥

沖縄二高女看護隊・チーコの青春 第3部―14.捕虜」より捕虜になるぐらいなら死んだ方が‥‥‥


 千恵子は岩陰から外を見た。敵の姿は見えなかった。西の方の岩陰からパーンという爆発音がして、小さな煙が立ち登った。誰かが手榴弾で自決したようだった。ダダダダダと自動小銃の音も聞こえて来た。手榴弾の炸裂する音も次々に聞こえて来た。敵に捕まるよりも潔く自決しているのだった。

 千恵子たちも自決したかった。でも手榴弾はない。どうしようとおろおろしていると西の方に自動小銃を手にしたアメリカ兵の姿が見えた。

 鬼のように大きかった。赤い顔をしていた。黒い顔をした怪物のようなのもいた。恐ろしい鬼が十数人も近づいて来た。

「デテコイ、デテコイ」とアメリカ兵は言いながら、返事がないと容赦なく自動小銃を撃っていた。悲鳴が聞こえ、「撃たないでくれ」と叫びながら避難民たちが手を上げて出て行った。

「向こうからも来た」とトミが東の方を示した。

 四人のアメリカ兵が見えた。五、六人の避難民が両手を上げて投降していた。前からも後ろからもアメリカ兵が迫って来ていた。もう逃げ場はなかった。

「顔を汚すのよ」と悦子が言った。

 岩陰にあった濡れた泥を千恵子たちは競って顔に塗り付けた。

「デテコイ、デテコイ」と言いながらアメリカ兵は近づいて来た。自動小銃の音が響いて、悲鳴が聞こえ、手榴弾の音もあちこちから聞こえて来た。

 隣にいた兵隊たちも、「大日本帝国、万歳!」と叫びながら自決した。硝煙(しょうえん)の臭いが漂って来た。

 突然、二人の兵隊が千恵子たちの所に逃げ込んで来た。一人の兵隊が手榴弾を持っていた。神の助けだと千恵子たちは手榴弾を見つめた。

「捕虜(ほりょ)になるぐらいなら死んだ方がいい。一緒に死ぬか」と兵隊が言った。

 千恵子たちはうなづいた。

 たった一つの手榴弾で八人も死ねるのだろうかと心配だったが、後は、運を天に任せるしかなかった。千恵子たちは丸くなって一つの手榴弾を囲んだ。

 兵隊が安全ピンを抜いて、皆の顔を見回した。

 いよいよ、死ぬ時が来た。敵に捕まる事なく死ねるのが嬉しかった。ただ、ここで死んだという事を家族に知らせる事ができないのが残念だった。

「行くぞ」と言って、兵隊は手榴弾の飛び出た所を岩に叩きつけた。

 一瞬の内に吹き飛ぶはずだった。でも、手榴弾はカチッと音がしただけだった。兵隊はもう一度、岩にぶつけた。手榴弾は不発だった。

「くそっ」と言って兵隊は手榴弾を投げ捨てた。やはり爆発はしなかった。

 アメリカ兵はすぐ側まで迫って来ていた。

「もう終わりだ」と二人の兵隊は軍服を脱ぐと両手を上げて出て行った。

「何よ、もう」とトヨ子が言って、気が抜けたように座り込んだ。

 千恵子は首筋の汗を拭いた。緊張したせいか汗びっしょりだった。もう何も考えられなかった。

「どうするの」と悦子が聞いた。

「もういい」とトヨ子は言った。「どうせ死ぬんだから、捕虜になって、みんなと一緒に死のう」

 千恵子たちはうなづいて、両手を上げて出て行った。悦子が乾パンの袋を広げて白旗代わりにして先頭に立った。

 海岸に、自動小銃を持ったアメリカ兵に囲まれて十数人の避難民がいた。

 千恵子たちも自動小銃を持った鬼のようなアメリカ兵に囲まれた。敵に捕まってしまった自分たちが情けなかった。途中で亡くなった留美が羨ましかった。留美はこんな悔しい思いをしなくてもよかった。

 アメリカ兵は捕まえた避難民たちの持ち物を調べていた。

 隙(すき)があったら、海に飛び込んででも死のうと思いながら千恵子は呆然と立っていた。


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2009年07月08日

村を襲った空襲で‥‥

沖縄二高女看護隊・チーコの青春 第3部―6.空襲」より村を襲った空襲で‥‥


 ひどい有り様だった。石垣は崩れ、その下に血だらけの人が埋まっていた。道路には飛び散った手足が落ちていて、破壊された民家の中は血だらけだった。硝煙の臭いと血の臭いが立ち込め、正視できない悲惨な地獄絵が目の前にあった。

 今朝、足の治療をしてやった女の子が首をもがれて死んでいた。側にいた母親は下半身しかなく、おばあさんのおなかからは内蔵がすべて飛び出していた。一緒にいた別の二家族も皆、悲惨な死に様で亡くなっていた。赤ん坊を連れていた母親は赤ん坊に覆いかぶさるようにして亡くなっている。赤ん坊は血だらけで、母親は片腕がもげ、顔も半分なくなっていた。まだ若く綺麗な顔をしていた母親だった。爆風で吹き飛ばされたのか裸同然の姿だった。

 千恵子たちは恐ろしさで動く事もできず、呆然と立ち尽くしていた。こういう悲惨な光景は以前も見た事はある。でも、それは兵隊たちだった。戦闘員ではない一般の人々、しかも、女の人や子供たちのあまりにも惨(むご)い死に方を見て、千恵子たちは恐ろしさに震えた。どうして、女子供がこんなひどい目に会わなくてはならないのか、敵への憎しみが今まで以上に湧き上がって来た。

「しっかりしろ」と西村上等兵が怒鳴った。「君たちは看護婦なんだろ」

 千恵子たちはうなづいて、家の中に上がった。一人一人確認したが、生きている者はいなかった。隣の民家もひどかったが生存者がいた。できるだけの治療をして、次へと回った。被害を受けていない民家もあり、あちこちから逃げて来た人たちが集まって、皆、気の抜けたような顔して思い思いの場所に座り込んでいた。

 浩子おばさんたちも師範女子の生徒たちを連れて治療して回っていた。お互いに無事だった事を喜び、ひどいわね、頑張りましょと言って別れた。怪我人よりも死亡者の方が圧倒的に多かった。せっかく生き残って治療をしてやっても先の事はわからなかった。このまま民家にいたら、またやられてしまう。でも、避難する壕はどこにもない。可哀想だけど、どうしようもなかった。

 千恵子たちが隠れていた石垣は粉々になっていた。あの後、誰かが隠れたとみえて、血だらけになり、あちこちに人間の肉が飛び散っていた。

 千恵子たちは壊れた石垣を越えて隣の民家へと行った。そこもひどい有り様だった。避難民たちが折り重なるように死んでいた。全滅だと思って立ち去ろうとした時、「水を」という声が聞こえた。振り返ると辛うじて残っている壁の側に横になっている中年の女の人だった。血だらけの顔で微かに右手を動かしていた。体中に破片が刺さって、両足がもぎ取られていた。出血もひどく助かる見込みはなさそうだった。

 千恵子たちは顔を見合わせ、うなづくとトヨ子が水筒の口を開けて、女の人に近寄った。すでに水筒を持つ力もなく、トヨ子が水を飲ますと苦しそうに一口飲み、「ありがとう」と言って事切れた。千恵子たちは両手を合わせて冥福(めいふく)を祈った。丁度、千恵子たちの母親位の年齢だった。近くに二人の子供が死んでいた。十歳位の女の子と七歳位の男の子だった。

「写真だわ」と言って初江が女の子の手の下にある血だらけの紙切れを手に取った。

「ごめんね」と言って初江は紙切れの血を女の子のモンペで拭き取った。

 家族が揃っている写真だった。両親と祖母、中学生らしい男の子と女学生らしい女の子と今、ここにいる二人の子供が写っていた。父親は防衛隊に取られ、中学生は鉄血勤皇隊、女学生は看護婦になり、母親は下の二人の子供を連れて、ここまで逃げて来たに違いない。祖母の姿はここにはなく、途中ではぐれてしまったのか、死んでしまったのかもしれない。まるで、自分たちの家族の最期を見ているような気がした。


小さな生き証人  生還  日本の戦争遺跡  図説東京大空襲  
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2009年06月29日

艦砲弾が炸裂する中を死に物狂いの彷徨

沖縄二高女看護隊・チーコの青春 第3部―1.真栄平」より艦砲弾が炸裂する中を死に物狂いの彷徨


 海の方を見るとずらりと並んでいる敵艦の大砲から次々と黒い煙が上がっていた。腕時計を見たら、もう六時になっていた。

 それからはもう死に物狂いの彷徨(ほうこう)だった。千恵子たちの回りに艦砲弾が次々に落ちて来た。ヒュッと音がしたかと思うと、すぐにバーンと近くで炸裂した。体を伏せる間もなく、泥をかぶり、破片がシュルシュルと音を立てて、すぐ側を飛んで行った。目の前を歩いていた負傷兵が轟音と共に吹き飛び、千恵子の側の水溜まりに落ちた大きな破片がジュッと音を立てた。こんなのが当たれば腕も足も首も、もげてしまうに違いない。

 もう、いやだ。こんな恐ろしい思いをするのなら、病院壕にいた方がよかったと何度も後悔した。泥の中に伏せては歩きの繰り返しで、ちっとも前に進まなかった。やがて、暗くなって、照明弾が次々に打ち上げられた。照明弾が上がっている時は明るくて道もわかるが、照明弾が消えてしまうと、月も星もない真っ暗闇になってしまい、方向さえもわからなくなってしまう。艦砲射撃はやむことなく、容赦なく千恵子たちの回りに落ちていた。どこか安全な壕に潜りたいと思っても、初めての土地なので、どこに何があるのか、まったくわからず、ただ、神様に無事を祈りながら身を伏せているしかなかった。

 続けざまに艦砲弾が千恵子たちの回りにいくつも落ちて来た。伏せていて泥をかぶり、慌てて体を探って無事を確認して、「ねえ、大丈夫だった」と千恵子は小百合と悦子に声を掛けた。

 返事がなかった。二人共、やられちゃったのと恐ろしくなり、千恵子は大声で、小百合と悦子の名を呼んだ。あちこちに落ちている艦砲弾の炸裂する音しか聞こえず、二人の返事はどこからも返って来なかった。真っ暗で何も見えず、千恵子はその場から動かずにじっとしていた。さっきまで、しっかり手をつなぎながら歩いていたんだから、そんなに遠くに行くはずはない。きっと、やられてしまったんだわ。千恵子は一人泣きながら泥の中にうずくまっていた。

 照明弾が上がって明るくなった。千恵子の後ろ十メートル位の所に大きな穴があいていた。それを見ると千恵子は悲鳴を上げながら駈け出した。

 突然、「静かにしろ!」と怒鳴られた。見ると武装した兵隊が三人、ガジュマルの木陰に隠れていた。剣のついた銃を千恵子に向けて、「電波探知機に引っ掛かる。静かにしろ」と怖い顔して睨(にら)んでいた。

「すみません」と千恵子は謝った。

 電波探知機というのは病院壕にいた時、入院していた患者さんから聞いていた。よくわからないけど、米軍は色々な最新兵器を持っていて、人の話し声を探知して、そこに集中攻撃をかけると言っていた。

 また真っ暗になってしまい、千恵子はその場にしゃがみこんだ。照明弾が上がり、ガジュマルの木の方を見ると兵隊たちの姿はなかった。千恵子はフラフラとガジュマルの木の下に行くとその木陰に隠れた。

 恐ろしさで体中が震えていた。口も震えて歯がガチガチ音を立てていた。止めようと思っても止められなかった。

 どうして、小百合と悦子はあたしを置いて逝(い)ってしまったの。たった一人で、これからどうしたらいいのよ。いっその事、あたしも死んでしまいたい。艦砲弾に当たって一瞬のうちに死んでしまいたい。千恵子は自分の体がバラバラに吹き飛ぶのを想像した。首がもげて脳みそが流れ出し、手足ももげて、はらわたもバラバラになって飛び散った。いつか、病院壕の前で見た光景と重なって、あんな死に方はいやだと首を振った。青酸カリを飲めば、もっと楽に死ねるのかもしれない。古波蔵さんにもらってくればよかったと思ったけど、真栄平まで行けば古波蔵さんに会えるかもしれないと考え直した。古堅さんもいるかもしれないし、佳代やトヨ子、初江や晴美もいるに違いない。頑張って真栄平まで行くのよと自分に言い聞かせて、千恵子は艦砲弾の炸裂する中に飛び出した。

 長かった夜が明け、辺りはシーンと静まり返っていた。空は曇っていて、また雨が降りそうな雲行きだった。


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2009年06月20日

樹木に飛び散った内蔵や手足が‥‥

沖縄二高女看護隊・チーコの青春 第2部―18.破傷風患者と脳症患者」より樹木に飛び散った内蔵や手足が‥‥


 まもなく敵の攻撃がやむ時刻、千恵子と小百合は和田上等兵を埋葬地に運ぶために、第三坑道の入口近くに来ていた。夜が明けて、外はもう明るくなっていた。

 第三坑道の入口前には前線から送られて来た負傷兵が五、六人、戸板に乗せられたまま並んでいた。手術室のある上の壕の前は勿論の事、どこの壕の前にも負傷兵は並んでいた。危険を冒して夜中に負傷兵を運んで来ても、病院壕には入れてもらえず、困り果てて壕入口前に置いて帰ってしまうのだった。毎朝、敵の攻撃がやんでから衛生兵たちが広場にある擬装網の下に運んでいた。

「今日も暑くなりそうだな」と誰かが声を掛けて来たので振り返ると矢野兵長だった。

「もう暑くてたまりませんよ」と言いながら千恵子は顔の汗を拭いた。煤(すす)で黒くなっている顔を矢野兵長に見られたくなかったけど、もう手遅れだった。

 矢野兵長は奥の坑道にある寝台で寝ていたが、そこが第九病棟になってしまい、上の壕に移動した。上の壕も病棟になると、そこも追い出されて、衛生材料などの倉庫になっている壕に移ったらしい。千恵子たちが奥の方に寝台を詰めた後は、第一坑道に移って来て、時々、井田伍長や古波蔵看護婦と一緒に酒を飲んでいた。勤務中に病院壕にいる事は滅多になく、どこかに行っているようだった。

「矢野兵長さんが手伝ってくれるんですか」と千恵子は毛布にくるまれた遺体を示しながら聞いた。

「そうだよ。俺じゃ頼りないのか」

「いえ、そうじゃなくて、兵長さんが来るなんて珍しいので」

「なに、もう兵長だの軍曹などと言ってる場合ではなくなったよ。衛生兵だろうが武器を持って前線に行かなくてはならない状況になっているんだ。まったく、ひどい有り様だよ。今度こそ、二十七日の日本軍の勝利を祈るばかりだな」

「二十七日に総攻撃があるんですか」と小百合が目を輝かせて聞いた。

「多分な」と矢野兵長はうなづいた。「五月二十七日は海軍記念日なんだよ。今度こそ、連合艦隊が出撃して来るだろう」

 千恵子と小百合は指折り数えた。あと九日だった。あと九日間、頑張ればいいんだと思うと急に力がわいて来て、知らずに笑いがこぼれて来た。

「危ない、伏せろ!」と入口にいた歩哨兵が怒鳴ったのと同時だった。物凄い爆発音が響き渡り、千恵子は爆風で飛ばされた。

 辺りが急に静かになった。千恵子は顔を上げた。

 小百合が壁に寄り掛かったまま両足を投げ出して座り、目を見開き、口をポカンと開けていた。爆風を飲んでしまったのかと千恵子は慌てて側まで行くと小百合の体を揺すった。小百合は気が付いたかのように千恵子を見ると入口の方を指さして、口を動かした。

 誰かが千恵子の背をたたいた。振り返ると矢野兵長が口をパクパクさせていた。小百合を見ると小百合も口をパクパクしている。もしかしたら、耳が聞こえなくなってしまったのかと千恵子は首を振った。やがて、耳がキーンと鳴って聞こえるようになった。

「おい、大丈夫か」と矢野兵長が言っていた。

「チーコ、チーコ」と小百合が呼んでいた。

「大丈夫、大丈夫よ」と千恵子は言ってから、我が身を見回した。血は出ていないし、痛みもどこにもなかった。助かったとホッと溜め息をついた。

 第三外科の比嘉看護婦と照美がポカンとした顔して立ち尽くしていた。千恵子も入口の方を見て、愕然(がくぜん)となった。

 負傷兵が並んでいた所が直撃されて、大きな穴があいていた。そこにいた負傷兵たちの体はバラバラになって飛び散っていた。ちぎれた手や足が転がり、脳みその出た頭も転がっている。回りの樹木にも飛び散った内蔵や手足が引っ掛かっていて、血がポタポタと垂れていた。まるで、地獄絵そのものだった。

「あたし、見てしまったのよ」と言いながら小百合が泣いていた。千恵子は背中を向けていたけど小百合は入口の方を向いていたので、負傷兵がやられる瞬間を見たのかもしれなかった。

「小百合、大丈夫よ。あたしたちは無事だったのよ」千恵子はショック状態の小百合を慰めた。

 やがて、敵の攻撃がやんで静かになった。矢野兵長と歩哨兵が外に出て行った。何げなく天井を見た千恵子は恐ろしさで身震いした。艦砲弾の鋭い破片がいくつも天井に突き刺さっていた。


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2009年06月11日

傷口から蛆虫が‥‥

沖縄二高女看護隊・チーコの青春 第2部―17.蛆虫」より傷口から蛆虫が‥‥


 千恵子が患者さんのおしっこを取って汚物入れの所に戻って来ると、一番奥の下段に寝ている山内一等兵が、「痛え、痛えよう」と騒いでいた。

 第六外科が新設された日に入院した古い患者さんで、両足に重傷を負って右足は切断され、胸部にも重傷を負っていた。最初の頃は唸っているばかりで食事も取れない状態だったが、少しづつ快方に向かって、胸部の傷は大分よくなり、食事も取れるようになっていた。

「その人、昨夜も痛い、痛いって、ずっと騒いでたのよ」と悦子が言った。「仕方ないから古堅さんが痛み止めの注射を打って、やっと静かになったんだけど、薬が切れちゃったみたいね」

 薬品不足は深刻で、化膿止めや痛み止めの注射も以前のようには打てなくなっていた。初めの頃は千恵子たちが薬剤室に行けば、はいはいと言って薬をくれたのに、患者さんが増えるに従って、難しい手続きが必要になり、正看護婦が行かなければどうにもならなくなっていた。痛み止めの注射を打ってやりたいけど、古堅看護婦が出勤して来る夕方まで待ってもらうしかなかった。

 我慢して下さいと頼んでも無駄だった。痛い痛いと喚き続け、回りの患者さんたちも怒って、早く、静かにさせろと怒鳴った。

「古波蔵さんに頼もうか」と悦子が言った。

「そんな、駄目よ。第六外科の患者さんの事をよその看護婦さんに相談したら、古堅さんの面目丸つぶれになっちゃうわ。二人で何とかしなくちゃ」

「そんな事言ったって、どうするのよ」

「治療班は今日来るかしら」

「まだじゃないの。明日か明後日(あさって)じゃない」

 千恵子が痛い場所を聞くと、切断した右足ではなくて、左足の方だった。包帯を巻いた左足のふくら脛(はぎ)に耐えられない程の激痛が走るという。とにかく、包帯を解いてくれと言うので、千恵子は悦子とうなづき合ってから包帯を解き始めた。包帯を解いて傷口を消毒すれば痛みもいくらか和らぐだろうと思った。

 包帯を解きながら千恵子は変な音を耳にしていた。ガサガサというか、ギジギシというか、時々、ネズミが現れるので、ネズミが柱でもかじっているのかと思ったが、どうも、包帯の中から聞こえて来るような気がした。ランプを近づけて見たけど、膿で汚れているだけでよくわからなかった。

「どうしたの」と悦子が聞いた。

「ねえ、変な音がしない」と聞いたが、悦子は「気のせいよ」と言って、他の患者さんの方へ行ってしまった。

 包帯を解くにしたがって悪臭がプーンと鼻をつくが、もう慣れて、我慢できるようになっていた。包帯を外し、膿に濡れたガーゼをはがすと、艦砲の破片にやられた傷口が現れた。と同時に傷口からポロリと何かが、千恵子の手の上に落ちて来た。何げなく、それを見た千恵子はゾッとした。蛆虫(うじむし)が手の上を這っていた。千恵子は軽い悲鳴を挙げて、蛆虫を払い落とした。

 どうして、こんな所に蛆虫がいるんだろうと思いながら、ランプを近づけて傷口を見た。傷口の肉が白く盛り上がっていた。この前、治療班が来た時はこんな風ではなかったような気がする。おかしいと思いながら傷口を見ていたら、その傷口が動いていた。さっきから気になっていた変な音もそこから聞こえて来た。蛆虫が傷口に群がっていたのだった。千恵子は思わず、悲鳴を挙げて、その場から走り去った。

 悦子が、「どうしたのよ、ねえ、どこに行くのよ」と言いながら追って来た。

 千恵子は無意識のうちに第十外科に行って、古波蔵看護婦を頼っていた。血相を変えて飛び込んで来た千恵子に古波蔵看護婦は驚き、「一体、どうしたのよ。また、下痢になったの」と聞いて来た。

 千恵子は荒い息をしながら首を振った。

「蛆が出たんです。患者さんの傷口に蛆虫がいっぱいいるんです」

 古波蔵看護婦は冷静な顔をしてうなづいた。

「とうとう第六にも出て来たのね。昨日、第四の患者さんから見つかったのよ。毎日、包帯を交換していれば、蛆なんてわかないんだけどね、仕方ないわよ。蛆は膿やバイ菌を食べてくれるので傷が早く治る場合もあるんだけど、肉や皮も食べるからひどい痛みがあるのよ。消毒したガーゼで払い落としてやってちょうだい」

 悦子は古堅看護婦から蛆虫の取り方を聞いていた。千恵子にも教えてやれと言われていたけど、まさか、生きている人間に蛆がわくなんて考えられなかったので、言うのを忘れてしまったという。

 第六外科に戻ると、「早く、そいつを何とかしてくれ」と山内一等兵は騒いでいた。足を動かしたのか、傷口にあふれていた蛆虫は毛布の上に落ちて蠢(うごめ)いていた。

 千恵子は慌てた事を謝って、悦子が用意してくれたピンセットに消毒したガーゼを挟み、リゾール液の原液を入れた膿盆(のうぼん)代わりの空き缶の中に、傷口で蠢く蛆虫を掃き出した。コロコロと太った蛆虫は傷口の奥の方まで食らい付いていた。見ているだけで気持ち悪く、全身に鳥肌が立っていたけど、千恵子は必死になって蛆虫と格闘した。驚く程、多くの蛆虫がいて、空き缶から溢れ出そうだった。悦子に渡そうとしたら、いなかった。気持ち悪いと言いながら見ていたけど、耐えられなくて逃げてしまったようだ。

「まったく、もう。あたし一人にこんな事させて」千恵子はブツブツ文句を言いながら、死んだ蛆虫を汚物入れに捨てた。

「もう大丈夫ですよ」と千恵子は笑顔を見せて、傷口を綺麗に消毒してから新しいガーゼで塞ぎ、包帯を巻いた。包帯は汚れていたけど、山内一等兵はホッとした顔をして、嬉しそうに笑った。


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2009年06月02日

艦砲にやられた負傷兵

沖縄二高女看護隊・チーコの青春 第2部―8.第一坑道」より艦砲にやられた負傷兵


 八時頃、車の音が聞こえたかと思うと、高良婦長が飛び込んで来た。

「新しい患者さんよ。水汲みをした人たちは手術室の方に集まって」

 千恵子たち五人が外に出ると明かりを消したトラックから担架に乗せられた患者さんが次々と手術室の方に運ばれていた。

 新しい患者さんは五人だった。高良婦長が衛生兵から患者の様子を聞き、一番重傷の患者が手術台の上に運ばれた。顔は泥まみれで、くるんであった毛布をはがすと上半身と右腕に包帯がグルグル巻かれ、血で真っ赤に染まっていた。千恵子は思わず目を背けた。

「あんたたち何をぼやっとしてるの」と婦長に怒られ、後は看護婦に命じられるままに動いた。

 内科からも助っ人が五人来た。澄江や和美もいたが無駄話をする状況ではなく、訳がわからないまま、お湯を沸かしたり、手術器具を消毒したり、ガーゼや薬品の用意をしたり、忙しく動き回った。

 石黒軍医が落ち着いた顔してやって来ると手術が始まった。千恵子たちは昨夜と同じようにローソクを持って手術台を照らした。手術室勤務の喜納(きな)看護婦が体に巻いた包帯をはずすためにハサミを入れた。患者さんが痛そうに顔を歪めた。

「アチッ」と千恵子は思わず叫んだ。ローソクのロウが手の指に垂れてきて、とても熱かった。喜納看護婦に睨(にら)まれて、千恵子は謝り、熱いのを我慢する事にした。

 血だらけの包帯をはずすと傷だらけの体が現れた。胸の所の大きな傷は皮がめくれて中の肉が見え、血が溢れ出ていた。ムッとした血の臭いで気分が悪くなり、気が遠くなりそうだった。

「チーコ」とトヨ子に言われ、千恵子はハッと我に帰った。

 石黒軍医は脱脂綿で血を拭き取りながら傷の具合を調べていた。喜納看護婦が右腕の包帯もはずした。かなりの脱脂綿が傷口に詰めてあり、血だらけのそれを取ると、腕の肉は半ばえぐり取られていた。その傷口を目(ま)の当たりにした留美がへなへなと倒れた。

「こら、気をつけろ」と軍医が怒鳴り、留美に代わって朋美がローソクを持った。

 上原看護婦が麻酔の注射をして、軍医がメスを持った。伊良波看護婦と大城看護婦が患者の体をしっかりと押さえた。傷口を広げると鉄の破片が顔を出した。患者が悲鳴を上げるのも構わず、軍医は破片を引っ張り出した。鉄の破片は鋭くとがっていて、三センチ位の大きさだった。傷口から次々と破片が出て来たが千恵子は見ていなかった。とても正視する事はできなかった。

 二人目の患者も三人目の患者も体から鉄の破片がいくつも出て来た。

 四人目の患者は右の足首から先がグチャグチャになっていて、切断するしかなかった。腰椎(ようつい)に麻酔注射を打ったら数分で患者の意識はなくなった。足首を消毒してメスを入れると血と共に白い脂肪が飛び出した。肉を削り取って糸鋸(のこ)のような細い歯の付いた鋸で骨を切る。骨を切る時の音は何とも言えず、気味悪かった。切り落とした足は大城看護婦が無造作につかむと、汚れた包帯が捨ててある汚物入れの中に投げ捨てた。切り口の肉はメスでえぐり取られ、血管やら神経やらを引っ張って結び、皮は縫合された。包帯を巻かれた足は棒のようになってしまい、もう靴を履く事もできず、可哀想だった。

 五人目の患者は左肩に小さな破片が四つ入っていただけの軽傷だった。

 手術が終わったのは十二時を過ぎていた。ローソク持ちを交替した後、夜中だというのに水汲みをやらされ、もうくたくたになっていた。手術の済んだ患者は外科病棟に移された。喜代とトミが手術室の後片付けをするために残り、内科からの助っ人も帰り、千恵子たちは外科病棟に戻った。


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2009年05月24日

那覇を襲った十・十空襲

沖縄二高女看護隊・チーコの青春 第1部―2.十月十日」より那覇を襲った十・十空襲


 二時近くになって、やっと静かになった。千恵子は防空壕から出て、屋根の上を見上げた。康栄と栄一と伯父さんは屋根の上に座り込み、ポカンとした顔で那覇の方を見ていた。庭からだと黒い煙が見えるだけでよく見えない。黒い空の中、血のような色をした太陽が浮かんでいた。千恵子はハシゴを登った。

「ひでえよ」と康栄が顔を歪めた。

 千恵子は康栄の隣に座り込むと恐る恐る那覇の方を見た。

 松尾山からも煙が立ち昇っていた。二高女だか国民学校だか病院だかわからないが、どこかに爆弾が落ちたようだった。病院にいる姉は大丈夫なのか心配になった。千恵子の家のある久茂地(くもじ)町は無事のようだが、港の近くの通堂(とんどう)町、西新町、西本町、東町、上之蔵(うえのくら)町、辻(つじ)町、そして、対岸の垣花(かきのはな)町辺りは燃えているようだった。それに、高射砲陣地のある城岳の辺りも煙を上げている。城岳の近くには二中があり、父のいる県庁も近くだった。

「四回目から那覇の街を攻撃し始めたんだ」と康栄は言った。「畜生、友軍の姿なんか全然見えねえ。今度、敵が来たら那覇は全滅になるぞ」

「そんな‥‥‥」

「だって見ろよ。敵は焼夷弾(しょういだん)て奴をばらまいてんだぜ。風も出て来たし次々に燃えちゃうよ」

 千恵子は家に残して来た服やまだ新しい革靴、祖父が大事にしている三線(さんしん)、祖母が大事にしている銀のジーファー(簪(かんざし))、父が大事にしている写真機、母が大事にしている上等な着物、その他様々な物を思い浮かべた。それらが皆、燃えてしまうなんて考えたくもなかった。空を見上げ、大雨でも降ってくれればいいと願った。しかし、首里の上空は那覇の上とはまったく違って青空が広がっていた。

 警防団員の人が来て、那覇から大勢の避難民が首里に押し寄せて来たと知らせた。彼らの避難場所を手配しなければならないので手伝ってくれと頼まれ、伯父さんは康栄と栄一を連れて、どこかに行ってしまった。千恵子は一人、屋根の上に取り残され、燃える那覇の街を呆然と眺めていた。

 燃えている辺りに友達の家があった。みんな、無事に逃げただろうか。住む家をなくしたら学校にも来られなくなってしまうのではないだろうか。あともう少しで卒業できるというのに可哀想だった。どうして、こんな目に会わなけりゃならないの。那覇の人たちが一体、何をしたっていうの。どうして、こんなひどい事をするのよ。

 どれくらい時間が経っただろう。西の方からブーンという恐ろしい響きがまた聞こえて来た。見上げると敵の大編隊が我が物顔で飛んでいる。さえぎる者もなく余裕しゃくしゃくで那覇の上空まで来て爆弾を次々に落とし始めた。港や飛行場は壊滅してしまったのか、そちらに行く気配はなく、那覇の街を無差別に攻撃していた。松尾山も攻撃されて煙が上がった。崇元寺や壷屋(つぼや)の辺りも攻撃されている。少しづつ首里の方に近づいて来るような気がして、千恵子は慌てて屋根から降りて防空壕に駈け込んだ。

 五度目の空襲は一時間位続いた。四時頃、皆が止めるのも聞かず、防空壕から飛び出して屋根に上がってみた。そこからの眺めは悪夢だった。自分の家だけは大丈夫だと信じていたのに、それは儚(はかな)い夢と消え果ててしまった。

 那覇の街は火の海になり、辺り一面、物凄い煙を吐いていた。久茂地町も松尾山も市役所や山形屋デパートも郵便局も那覇駅も県庁も皆、火の海の中にあった。

 燃えている那覇の街を見ているうちに涙が知らずに流れて来た。千恵子は屋根の上に座り込んだまま泣き続けた。


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