2009年05月20日

石川五右衛門登場

時は今‥‥石川五右衛門伝 4.山の砦」より石川五右衛門登場


 おつたに連れられて、マリアと勘八は安土の北東にある霊仙山(りょうせんざん)の山中へと入って行った。

「ネエ、どこ、行くの?」と薄暗い山道を見上げながら、マリアが聞いた。

「お頭の所に決まってるでしょ」とおつたはサッサと山道を登って行った。

「どうして、五右衛門様はこんな山の中にいるの?」

「盗っ人が町中にいるわけないでしょ」

 おつたの言う事はもっともだが、マリアは何となく不安になっていた。

「奴に捕まったら、終わりじゃ、ヒッヒッヒ」と言った夢遊の言葉が思い出された。

 盗賊一味の荒くれ男どもに囲まれて、乱暴されるのではないかと恐ろしくなった。

 マリアは急に足を止めると、後ろから来る勘八を振り返った。

「大丈夫だよ」と勘八は自信ありげに言ったが、勘八一人で盗賊を相手に逃げられるとは思えなかった。

「お前の事は俺が命懸けで守る。それに、石川五右衛門はお前の親父さんの事を知ってるんだろ。大丈夫だよ」

「そうネ、大丈夫よネ」とマリアは自分に言い聞かせた。

 勘八はマリアの手を引くと、おつたの後を追って行った。

 道がなくなっても、おつたは草をかき分けて、どんどん登って行った。

 ここまで来たら、もうどこまでも付いて行ってやるとマリアは覚悟を決め、汗を拭きながら後を追った。

 途中、危険な岩場があった。おつたは身が軽く、ヒョイヒョイと岩をよじ登って行った。マリアは負けるものかと必死になって岩にしがみついた。

「あんた、なかなか、やるじゃない」とおつたは笑った。

「五右衛門様に会うためなら、こんな事くらい‥‥‥」マリアは額の汗を拭うと岩壁を見上げた。

「もうすぐよ」

 岩場を抜けると後は比較的平坦な道が続いた。しばらく行くと鬱蒼(うっそう)とした木立の中に、空堀と土塁に囲まれた砦が現れた。まさに、大盗賊、石川五右衛門の砦を思わせる不気味さが漂っていた。

「この中に、五右衛門様がいるのネ」とマリアはポツリとつぶやいた。

 おつたが門の前で、「ピピッピ、ピーピー」と口笛を鳴らすと、土塁の上に若い男が顔を出し、「おつたか?」と聞いてきた。

「お土産、持って来たわ」とおつたは言った。

「よくやった」と若い男はマリアをチラッと見てから消えた。

 しばらくして、分厚い門扉(もんぴ)が開いた。

 土塁に囲まれた中は以外に広く、若者たちが武術の稽古に励んでいた。

 土塁から顔を出した男が、「おつた、お頭が待ってる」と言って、右側にある屋敷を顎(あご)で示した。

 その男は猟師の格好をして鉄砲を持ち、ニヤニヤしながら、マリアを眺めていた。

 おつたはうなづき、マリアと勘八を屋敷に案内した。

 屋敷の中は薄暗く、奥の部屋に人影が見えた。

 おつたはマリアと勘八を手前の部屋に座らせると、奥の人影に声を掛けた。

「あれが五右衛門様なの?」とマリアは人影をジッと見つめた。

 黒っぽい帷子(かたびら)を着て、文机(ふづくえ)に向かっているようだった。後ろ姿は逞しく、マリアが想像していた通りの五右衛門だった。

「おう、無事じゃったか?」と低い声で言うと五右衛門はゆっくりと振り返った。

 期待と不安に揺れながら、マリアは五右衛門の顔を見つめた。その顔を見て、今にも悲鳴を上げそうになる程、驚いた。


  

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2009年05月12日

安土の城下

時は今‥‥石川五右衛門伝 1.飛んでる娘」より安土の城下


 琵琶湖に突き出た丘の上に華麗な楼閣(ろうかく)がそびえている。

 その豪華さは、この世のモノとは思えない程、素晴らしく、とても、言葉では表現できない程、美しかった。

 五年前まで、人家もまばらな辺鄙(へんぴ)な土地が今、誰もが注目する都となっていた。

 安土(あづち)である。

 尾張(愛知県)出身の英雄、織田信長は破竹の勢いで、群がる敵を打ち倒し、清須から岐阜、岐阜から京都へと進出したが、京都に留まる事なく、琵琶湖畔の安土の地に本拠地を置き、城下町を建設した。丘の上に石垣を積み上げ、五層建ての豪華な御殿を築き、それを天主と命名した。

 城下には家臣たちの屋敷が並び、各地から集まって来た商人や職人たちが、新しい町を作っていた。町々は活気に溢れ、人々は城下の象徴である輝く天主を見上げながら、信長のお陰でようやく、戦乱の日々も終わったと安堵の日々を送っていた。

 梅雨の上がった夏晴れの朝、職人たちの町への入り口に当たる鎌屋の辻と呼ばれる大通りの四つ角で、見るからに変わった二人の娘が深刻そうな顔付きで話し込んでいた。

 二人共、足丸出しの丈(たけ)の短い単衣(ひとえ)を着て、腰に巻いた白い帯の結び目を横に垂らしている。長い髪には蝶々のようなリボンを結び、旅支度をしているつもりか、小さな包みを背負って、杖(つえ)を持っていた。

 一人は赤い朝顔模様の単衣に赤いリボン、もう一人は青い朝顔模様の単衣に青いリボンを付け、好みの色は違うが、顔付きも体付きもそっくりだった。

「じゃア、気イ付けてネ」と赤いリボンの娘が跳びはねた。

「あんたもネ」と青いリボンの娘も跳びはねた。

「うまくやりましょ、ネ」

 二人はうなづくと、天主を見上げてから、手の平をポンとたたき合って別れた。

 青いリボンの娘は京都へと続く街道に向かい、赤いリボンの娘はしばらく、青いリボンの娘を見送っていたが、首から下げた十字架をそっと握るときびすを返した。

 赤いリボンの娘が青いリボンの娘を見送った後、少し離れて立ち話をしていた二人の山伏が、何気ない仕草で、一人は青いリボンの娘を追い、もう一人は赤いリボンの娘を追って行った。さらに、荷物をかついだ旅の薬売りが二手に分かれて、山伏を追っていた。

 鎌屋の辻を二町(ちょう)(約二百メートル)程、北上するとまた大通りにぶつかる。その大通りは城と港を結ぶ主要道で、通りの両側には商人たちの屋敷や蔵、そして店が並んでいた。

 東に行けば、百々(どど)橋を渡って城内へと入る。石段を登って仁王門をくぐり、さらに登ると建築中のハ見寺(そうけんじ)がある。さらに登って、黒鉄(くろがね)門を抜けると二の丸、本丸、天主へと続いていた。

 西に行けば、大きな船がいくつも浮かぶ、賑やかな港へと出る。港に面して納屋(なや)と呼ばれる倉庫が幾つも建ち並び、各地から様々な物資が集まっていた。羽柴(はしば)藤吉郎秀吉の城下、長浜や明智十兵衛光秀の城下、坂本へ向かう船もそこから出航していた。


復元安土城  よみがえる安土城  織田信長事典コンパクト版  
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2009年05月02日

石川五右衛門誕生

藤吉郎伝―若き日の豊臣秀吉 13.初心」より石川五右衛門誕生

松下屋敷の奉公をやめて尾張に帰った藤吉郎は、駿河で知り合った五助を連れて、生駒八右衛門の屋敷に居候します。幼い頃の夢を思い出して京都に行こうと決心した藤吉郎に、俺は世直しをやるんだと五助は主張します。


「そうさ。ここに来て、ようやく俺のやるべき事がわかったんだ」と五助は藤吉郎に言った。

「へえ、よかったじゃねえか。しかし、盗っ人じゃなあ」と藤吉郎は首を振る。

「盗っ人じゃねえ、世直しだ。よく聞けよ、駿河も遠江も今川家の領国だ」

「そんな事は知ってる」

「まあ、聞け。駿河も遠江もここのように戦はねえ。ここも誰かが一つにまとめれば戦はなくなるだろう。それは侍の仕事だ。おめえがやればいい。俺は侍には向いてねえ」

「だから、盗っ人になるのか」

「違う。おめえも見ただろ、駿河は戦はねえ。戦はねえが貧しい者たちは大勢いる。やつらは好き好んで貧しいわけじゃねえ。必死で仕事口を捜している者も多い。しかし、仕事なんかねえ。そんな奴らがドブ臭え所に固まって乞食のように生きている。かと思えば、贅沢の限りを尽くしている者もいる。おかしいとは思わねえか。どこかが狂ってるんだ。俺は銭を持ってる悪人から銭を奪って、困っている人たちを助けてやろうと決めたんだ」

「確かに、今の世はどっかが狂ってる。強盗に人殺し、手籠めも日常茶飯事だ。おめえの言う事も一理あるが、そんな事をしたら侍を敵に回す事になるぞ」

「ところがそうじゃねえんだ。侍どもは戦に明け暮れてる。どんな侍にも必ず、敵がいる。例えば、今、清須と那古野は敵同士だ。俺が清須で悪さをすれば、那古野の上総介(信長)は喜ぶというわけだ。那古野に逃げ込めば捕まる事はあるめえ」

「そんなうまえ具合に行けばいいがな」

「最初から大物は狙わねえ。大物を狙うにはそれなりの準備が必要だからな。仲間も集めなけりゃなんねえ。まずは小悪党をやっつけてやるさ」

「あまり賛成はできねえが、おめえが決めたんだからな。しかし、どうして、ここに来て、そんな事を思いついたんだ。まさか、生駒様があくどい事をしてるわけじゃねえだろうな」

「生駒様は違うさ。八右衛門殿から話を聞いたんだよ。汚え事をして稼いでる商人が増えて来たってな。その話を聞いて俺は許せねえと思ったんだ」

「成程な」

「ところでな、話は変わるが俺は名前を変える事にした」

「何だと」

「五助じゃ何となく安っぺえからな。八右衛門殿と同じように右衛門を名乗る事にした。これからは五右衛門(ごえもん)と呼んでくれ。石川村の五右衛門で石川五右衛門だ。どうだ、なかなか強そうな名前だろう」

「石川五右衛門だと。どう見ても五右衛門ていう面じゃねえな。五助の方が似合う」

「うるせえ。もう決めたんだ。今から五右衛門と呼べ、いいな」

「わかったよ」

 キャーキャー笑いながら、女たちが帰って来た。

「おい、おナツ、俺は今日から五右衛門だからな、五助じゃねえぞ」

 おナツは五助が何の事を言っているのかわからず、きょとんとしていた。おきた観音がケラケラ笑いながら、五助を指さし、「ゴスケー」と叫んだ。

 藤吉郎は思わず吹き出した。

「おい、おきたがおめえの名前を覚えたぞ、よかったな」

「うるせえ、五助じゃねえ、五右衛門だ」

 五助はおきた観音に向かって、何度も五右衛門だと言って聞かせたが、おきた観音は、「ゴスケー、ゴスケー」と言うばかりだった。


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2009年04月26日

善太夫とナツメ、3年振りの再会

戦国草津温泉記・湯本善太夫 4.雷鳴」より善太夫とナツメの3年振りの再会


 うっとおしい梅雨が過ぎて、夏真っ盛りの頃だった。

 箕輪の城下から来た武士の一行を見送って、一息ついていた頃、突然、『小野屋』の孫太郎が妹のナツメと一緒に山程の土産を持ってやって来た。

 善太夫は北条方の商人である『小野屋』を宿に泊めていいものか迷ったが、孫太郎が伊勢の国から久々に関東にやって来たと言ったので、その事は知らない振りをして、いつもの馴染み客として迎える事にした。また、ナツメの笑顔を見て、断れるわけもなかった。

 三年振りの再会だった。

 冬になる度に、ナツメを捜しに旅に出掛けたが会う事はできなかった。縁がなかったのかと、半ば諦めかけている時だった。やはり、縁はあったのだと善太夫は飛び上がらんばかりの嬉しさだった。

 三年振りに見るナツメはもう一人前の女といえた。眩(まぶ)し過ぎる程、美しく、その笑顔に見つめられると、初めて会った時のように胸が高鳴るのを感じていた。

 前回と同じように奥の座敷に案内すると、孫太郎は戦死した父親と叔父のお悔やみを述べた後、改まって頼みがあると言った。

「そなたでなくてはできん事だ」と孫太郎は真剣な顔で善太夫を見つめた。

 隣でナツメもお願いしますと頭を下げた。

「わたしに頼みとは?」と善太夫はナツメから孫太郎に目を移すと聞いた。

「まず、小野屋の事だが、小野屋が北条氏と取り引きしている事は、そなたも存じておろう。うちが取り引きをしている武士は北条氏だけではないが、世間では北条氏の御用商人のように思っているようだ。その事については別に否定はせん。小野屋と北条氏との付き合いは古いからな。そこで問題が起きたんだ」

 孫太郎はそこで話をやめ、庭の方に目をやった。庭では番頭が水を撒いていた。

「そなた、愛洲移香斎(いこうさい)殿を御存じだな」と孫太郎は聞いた。

「陰流(かげりゅう)の?」と善太夫は聞き返した。

 孫太郎はうなづいた。「その移香斎殿と北条氏との関係を御存じかな」

「いいえ、知りませんが」

「そうか。北条氏の初代に早雲寺(そううんじ)殿というお方がおられた。その早雲寺殿と移香斎殿は応仁の乱の頃、出会い、その後も友として付き合っていたそうじゃ。二代目の春松院(しゅんしょういん)殿(氏綱)は移香斎殿より直々に陰流を習っておられた。三代目の今のお屋形様(氏康)も直々ではないが陰流を習っておられる。お屋形様が陰流を身に付けておられるので北条家中では陰流をやっている武士は多い。また、移香斎殿の御子息も北条氏に仕えておられた。今は孫の代になっているがの」

「移香斎殿も北条氏に仕えておられたのですか」

「いや、移香斎殿は誰にも仕えてはおらん。初代早雲寺殿にとっては、掛け替えのない友であり、二代目春松院殿にとっては師匠であり、大事なお客人であったお人じゃ」

「そうだったのですか‥‥‥」

「うむ‥‥‥春松院殿は移香斎殿を小田原に迎えようとした。しかし、移香斎殿はお断りになって、名前を隠して、この地に住み、ここでお亡くなりになられた。移香斎殿は晩年、武芸を捨てて、かったい(癩病(らいびょう)患者)たちの治療に専念しておられた。大したお人じゃった」

「はい。その話は伺(うかが)っております」

「それと、もう一つ、移香斎殿がこの地でやっていた事があったんじゃ」

「もう一つ?」

「ああ。玉薬(たまぐすり)(火薬)の研究だ」

「玉薬?」

「そなたは鉄砲というものを御存じか」

「鉄砲? 河越の合戦の時、北条方が使ったという?」

「そうだ」

「見た事はありません。何でも、雷(かみなり)のような物凄い音のする武器だとか噂で聞いております」

「うむ。まあ、そんなような物だ。五年程前、薩摩(さつま)の国の種子島(たねがしま)に南蛮人(なんばんじん)が渡来した」

「南蛮人?」

「明(みん)の国(中国)より、もっと遠い、海の向こうから、やって来た人だ。顔形も言葉も我々とまるで違う人たちだ」

「薩摩の国(鹿児島県)に来たのですか」

「来たというより、台風にやられて種子島に流されたらしい。その南蛮人が最新式の鉄砲を持っていた。河越の合戦で北条氏が使ったのは、この種子島の鉄砲ではない。明の国から伝わった、もっと古い型の鉄砲だ。明の鉄砲はろくに玉があたらん。玉はあたらんが威(おど)しには使える。河越の時がいい例だ。敵は鉄砲の音に慌てふためいて、戦意を失い逃げ惑(まど)った。ところが、種子島の鉄砲は玉がちゃんと当たる」

「玉が当たる? 鉄砲とは玉が出るものなのですか」

 孫太郎はニヤッと笑うと、かたわらに置いてあった長い袋を手に持って、中身を出した。善太夫はてっきり、太刀でも出すのかと身を引いたが、中から出て来たのは、見た事もない鉄と木でできた杖(つえ)のような物だった。

「これが種子島の鉄砲だ」

 孫太郎はその鉄砲を善太夫に渡した。

 善太夫は手に取ってみたが、こんな物からどうやって雷のような音がするのか不思議だった。玉も出ると言っていたが、玉が出たからといってどうなるのか、まったく見当も付かなかった。


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2009年04月16日

善太夫とナツメ、運命の出逢い

戦国草津温泉記・湯本善太夫 2.ナツメ」より善太夫とナツメの出逢い



 夏の終わりの頃だった。

 瑞光坊(ずいこうぼう、後の善太夫)は光泉寺の門前に立つ市からの帰り、湯治客を眺めながら、のんびりと歩いていた。

 草津には様々な客が訪れた。

 きらびやかに着飾った身分の高いお公家(くげ)さんや僧侶。

 偉そうな髭(ひげ)をたくわえて、槍や薙刀(なぎなた)をかついだ、いかつい顔をした武士。

 旅なれた山伏や遊行聖(ゆぎょうひじり)。山伏は真言(しんごん)を唱え、遊行聖は念仏を唱えながら歩いている。

 あちこちから流れて来る遊女や乞食(こじき)、旅芸人。鮮やかな着物に身を包んだ天女のように美しい遊女もいれば、乞食同然のボロをまとったお化けのような遊女もいる。

 時には武家の奥方が立派な輿(こし)に乗って、大勢の侍女(じじょ)を引き連れてやって来る事もある。

 身分も着ている物も様々だったが、草津に来ると皆、平等になったかのように、裸になって湯に入った。

 広小路には、御座(ござ)の湯、綿(わた)の湯、脚気(かっけ)の湯、滝の湯と四つの湯小屋があるが、ほとんど、回りから丸見えだった。勿論、男女混浴で、皆、草津に来た解放感からか、何の抵抗もなく裸になっている。中には、湯から出て素っ裸のまま、広小路を歩いている者もいるが、誰も気にも止めない。

 草津は不思議な所だった。

 瑞光坊は初めて草津に来た時、裸の人たちを見て驚いたが、それよりも、色々な種類の人がいる事の方がもっと驚きだった。小雨村にいた頃、見た事もない違う種類の人々が草津には大勢いた。噂に聞く都とは、こういう所なのかと驚いていた。

 草津は山の中の小さな村だったが、都とは言えないまでも、一種独特の華やかさを持った町だった。

 いつものように、湯池(湯畑)に湯煙が立ち昇り、硫黄(いおう)の臭いが鼻を突く。

 いつものように、滝の湯には大勢の者が湯を浴びていた。

 道行く男たちが足を止めて、ニヤニヤしながら湯小屋を眺めている。

 毎日、この時刻になると、仕事前の遊女たちが大勢、湯を浴びにやって来ていた。

 遊女たちは見られているのを承知で、キャーキャー言いながら誇らしげに体を見せびらかしている。

 初めて、この光景を目にした時、瑞光坊は驚き、まるで極楽のような所だと、毎日のように眺めに来たものだった。最近はその光景にも慣れ、遊女たちとも顔見知りになったため、わざわざ、眺めに来る事もなくなったが、いつ見ても、いい眺めだと思った。

 瑞光坊が眺めていると遊女の一人が瑞光坊に向かって、「若様!」と叫んで、両手を振った。

 他の遊女たちも、「キャー、若様!」と身を乗り出して手を振っている。

 回りの男たちが、瑞光坊を見ながら囃(はや)し立てた。

 瑞光坊は軽く手を上げて答えると、その場を離れようとした。

 ところが、瑞光坊の目は遊女たちの後ろで、滝を浴びている一人の少女の裸身に釘(くぎ)付けになってしまった。この辺りでは見た事もない程、綺麗な娘だった。

 長い黒髪を両手でかき上げながら、湯の滝を浴びている。すらっとした体はまだ幼いが、やけに眩(まぶ)しく、見ているだけで胸がドキドキして来るのを感じていた。

 遊女たちが何かを言っていたが、そんなのは何も聞こえず、少女をじっと見つめていた。

 突然、少女の姿が見えなくなった。

 瑞光坊は市場で買った野菜も忘れ、やじ馬たちをかき分けて、滝の湯の入り口まで行ってみた。しかし、すでに、その少女の姿はなかった。まだ、近くにいるはずだと、広小路中捜してみたが見つからなかった。

 瑞光坊は肩を落として飄雲庵(ひょううんあん)に帰り、野菜を忘れた事を円覚坊に怒られた。

 次の日から、瑞光坊は毎日のように、その少女を捜し回った。

 地元の者ではない事は確かだった。湯治客に違いない。湯治客なら、どこかの宿に泊まっているはずだ。十二、三歳の少女がそんなにもいるはずはない。きっと見つかるはずだと思ったが、なかなか見つからなかった。裸の姿しか見ていないので、どんな身分の娘か分からない。身分が分かれば、それ相当の宿を捜せばいいが、それが分からないから大変だった。

 この前と同じ時間に滝の湯に行けば会えるだろうと行ってみたが、見つける事はできなかった。遊女たちに聞いても、そんな娘は知らないという。三日間、捜し回って見つからず、もう帰ってしまったのだろうと諦めざるを得なかった。


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2009年04月06日

連歌師宗長と一休禅師

陰の流れ 第四部・早雲登場 24.一休禅師」より宗長と一休禅師



 安次郎(後の宗長)はまた、雲知に弟子をしてくれと言って断られ、玄関の前に座り込んでいた。

 夕方になって、一休が現れ、また『何者じゃ』と聞いた。安次郎は前回と同じように、元駿河今川家家臣、五条安次郎忠長と答えた。一休の答えは前回と同じだった。それだけでなく、玄関の前に座られては邪魔だと水を浴びせられ、それでも動かずにいると、力づくで追い出された。

 安次郎は泥だらけになり、仕方なく、その夜は丘の下で夜を明かした。十月の末で寒かったが、安次郎は死に物狂いになって、震えながら一晩中、座り通していた。この夜程、夜明けが待ち遠しく、夜が長いと感じた事はなかった。次の日、安次郎は山に入って柴(しば)を集め、酬恩庵への階段の下に小さな小屋を立てた。それは本当に小さな小屋だった。人一人が座る事のできる程の小さな小屋で、安次郎はその中で、毎日、座っていた。

 夜が明けると酬恩庵に行って、弟子にしてくれと頼み、断られ、また、柴小屋に戻って座るという毎日が続いた。安次郎の事はすぐに村中の噂となり、珍しそうな顔して、毎日、見物人がやって来た。中には食べ物を施してくれる者もいて飢え死にだけはしなかった。

 三日目に、一休がお森と一緒にやって来て、柴小屋の中を覗き込み、「何者じゃ」と聞いた。

「五条安次郎忠長です」と答えて、安次郎はハッと気づいた。

 一休は、そんな事を聞いているのではないという事がようやく分かった。一休が聞いたのは名前や肩書などではなく、もっと本質的なものであるという事を安次郎は気づいた。

 一休は、そんな者に用はないと言うと酬恩庵に戻って行った。

 安次郎は自分は一体、何者なのかを真剣に考え始めた。自分から名前も肩書も取ってしまったら、自分には一体、何が残るのだろうと考えた。もし、名前や肩書がなくなったとしても、自分というものが消える事はない。この消える事のない自分というものは、一体、何なのだろう。

 この村にいる者たちは自分の事を知らない。ある日、この村にやって来て、こんな所に小屋を立てて、毎日、座り込んでいる変わった男だと見ている事だろう。一体、今、ここに座っている自分とは何なのだろうか。

 禅僧ではない。勿論、連歌師でもない。今川家の武将でもない。

 今の俺は、人から飯を施してもらう、ただの乞食か。

 しかし、その乞食をしている自分というのは一体、何なのだ。

 安次郎は過去の事を色々と思い出して見た。安次郎は刀鍛冶(かたなかじ)の頭領である五条家に生まれた。父親は今川家のお屋形様を初めとして重臣たちの刀を鍛えていた。次男として生まれた安次郎は家を継ぐ事もなく、幼い頃より禅寺に通って読み書きを仕込まれ、十二歳の時、お屋形様の側に仕えた。それから、ついこの間まで武士として生きて来た。それが、今、こうして、乞食のような格好で、こんな所に座っている。武士として生きていた自分も本当なら、今、こうしている自分も本当の自分だった。自分とは一体、何なのだろうか。

 山崎屋六右衛門も心配して、時々、訪ねて来てくれた。そして、もう一人、毎日のように飯を運んでくれる老婆がいた。老婆はただ一言、頑張りなされ、と言って、握り飯を置いて行った。安次郎は今まで握り飯という物をこんなにも感激して食べた事はなかった。飯を食う事など、以前は当然の事だと思っていた。飯を食うという当たり前の事が、こんなにも嬉しい事だったとは考えた事もなかった。毎日、ただ座っているだけだったが、何となく、心が洗われるような新鮮な気持ちだった。禅というものが、何となく分かりかけて来たような気がした。

 また、三日後に、一休はやって来て、『何者じゃ』と聞いた。

「分かりません」と安次郎は正直に言った。

「自分が何者か分からんような奴に用はない」と言うと一休は去って行った。

 安次郎にも、ようやく、一休という禅師の大きさが分かりかけて来た。山崎屋が言っていたように、一休は海のように大きいという事を感じられるようになっていた。その事に気づいた安次郎は、本気で一休の弟子になろうと決めた。連歌の事は諦めてもいい、一休から本物の禅を教わろうと決心した。

 安次郎は山崎屋に頼んで、頭を剃って貰い、決心を固めると、改めて一休の『何者じゃ』という問いに取り組んだ。

 十一月になると夜の冷え込みは益々、増して行った。安次郎は、毎日、自分が何者なのかを座り込んで考えていた。

 夢庵だったら何と答えるだろうか。

 寝そべったまま、ニヤッと笑って、わしは夢庵じゃ、と言うのだろうか。そうすると、一休は何と言うのだろう。

 やはり、夢庵などには用はない、と言うのだろうか。

 すると夢庵はまたニヤッと笑って、わしも用はない、と言うのか‥‥‥

 早雲だったら何と答えるだろうか。

 頭を撫でながら、早雲じゃ、と言うのか。 

 一休は早雲などには用がないと言い、早雲はどう答えるのか。

 安次郎には分からなかった。

 安次郎は夜空の星に聞いてみた。星はただ輝いているだけだった。

 目の前に生えている草に聞いてみた。草はただ、そこにいるだけだった。

 また、三日後に、一休は来て『何者じゃ』と聞いた。

 安次郎は、「分かりません」と答えた。用はないと言って、一休は去って行った。

 安次郎には何と答えたらいいのか分からなかった。何と答えたら、一休は弟子にしてくれるのだろうか。名前ではない事は確かだ。「分かりません」でない事も確かだ。そうなると、ただの人とか、名もない男とか答えればいいのだろうか。

 安次郎は自分は何者か、を考えるよりも、何と答えたらいいのかを考え始めた。それは主客転倒だったが、安次郎は気づかなかった。あれこれと考えた末の答えは、『自然の一部である人間の一人』というものだった。安次郎はこの答えなら大丈夫だろうと、三日後、一休に自信を持って答えた。一休の返事は安次郎の思い通りにはならなかった。

「ほう、自然の一部か、それなら、そのまま、そこにずっといろ。いつの日か、望み通りに土になれるだろう」

 考えて、考えたあげくの返事がそれだった。安次郎は、もう、どうにでもなれと、考える事をやめた。自分は自分でしかない。他の何者でもなく、自分なんだ。あれこれ、考える必要はない。今、座っている、この姿以外に自分というものはない。

 一休の問いに囚(とら)われ過ぎていた事に気づいた安次郎は、もう、自分が何者かを考える事をやめてしまった。もう、ずっとこのまま乞食のままでも構わないと開き直った。開き直ってみると、何だか、急に楽になった。自分が本当に自由の身になったように感じられた。何にも縛(しば)られない、本当の自由の身になれたような気がした。

 今川家をやめて旅に出て以来、自由の身になったつもりでいたが、それは本当の自由ではなかった。連歌師にならなければならないという思いが一杯で、せっかく旅に出たのに何も見てはいなかった。上(うわ)の空で、ただ歩いていただけだった。様々な景色を見ていたはずなのに何も思い出す事ができなかった。

 安次郎は初めて、目というものの不思議さに気づいた。見えるという事と見るという事は違うという事に気づいた。誰でも目を開ければ何かが見える。見えるからといっても、必ずしも見ているわけではなかった。やはり、見ようとしなければ何も見る事はできないのだった。安次郎は変な事に気づいたものだと、小屋から出ると、改めて回りの景色を眺めて見た。今まで、自分がどんな所に座っていたのか知っているつもりでいたが、改めて、回りを見回してみて気づかない事が色々と見つかった。

 不思議な気持ちだった。今まで、自分は何を見ていたのだろうと思った。駿河にいた頃も、こんな風に漠然と物を見ていたに違いなかった。三十年も生きて来て、ろくに物を見ていなかったとは自分が情けなく思えた。もしかしたら、目だけではないのかもしれない。耳も鼻も口も五感といわれている物を、今まで充分に使っていなかったような気がして来た。せっかく持って生まれた物を充分に使わないのは、勿体ない事をして来たものだと思った。反面、その事に気づいた事の喜びもあった。安次郎は景色を楽しみ、心に焼き付けると、また、小屋の中に戻って座り続けた。

 目を閉じると、安次郎はじっと耳に澄ましてみた。色々な音が耳に入って来た。風の音、鳥の鳴き声、虫の鳴き声らが快い音として耳に入って来た。そして、柴の匂い、草の香りも新鮮に感じられた。ただ、自分の着ている着物の臭さが気になって来た。一度、気になると、もう溜まらなかった。今まで、全然、気にならなかったのに臭くて溜まらなかった。安次郎は木津川の河原に飛んで行くと、そのまま川の中に飛び込んだ。水は冷たかったが気持ちよかった。

 なぜか、嬉しかった。理由は分からないが自然と笑いが込み上げて来て、安次郎は一人、水浴びをしながら笑っていた。まるで、子供の頃に戻ったかのように、水の中で遊んでいる事、それだけで楽しかった。こんな気分になるのは本当に久し振りのような気がした。

 今までずっと、武士という枠の中で生きて来た。常に、人の目を気にして生きて来た。やりたい事があっても回りの目を気にして、できなかった。自分でありながら、それは自分ではなかった。五条安次郎というのは、こういう男だと、いつの間にかできてしまった枠の中で生きていた。武士である限り、その枠の中からはみ出す事は許されない事だった。ところが、今の安次郎にはその枠がなくなり、まったくの自由の身になっていた。何をしようと構わない。誰が見ていようと構わない。何をしても、俺は俺だった。

 安次郎は水の中で遊びながら、ふと、夢庵の事を思い浮かべた。夢庵は、今の安次郎と同じ境地で生きているに違いないと思った。いつも飄々としている夢庵は、まさしく、自由人だった。安次郎は夢庵を見直し、改めて、会いたいと思った。

 着物を洗って草の上に干すと、安次郎はずっと水の中で遊んでいた。そのうち、子供たちがやって来た。子供たちは初めのうちは、寒いのに川の中に入っている安次郎を馬鹿にしていたが、やがて、皆、川の中に入って来て、みんなで日が暮れるまで遊んでいた。

 三日後にまた、一休がやって来たが、安次郎は一休の事も忘れて、座ったまま眠っていた。

「何者じゃ!」と一休は怒鳴った。

「はい」と安次郎は跳び起きた。

「何者じゃ」と一休はもう一度聞いた。

「ただの土くれです」と安次郎は答えた。

 考えた答えではなかった。その時、とっさに出て来た答えだった。

「とうとう、土くれになったか」

「はい」

「ただの土くれになるまで何日掛かった」

「三十年」

「三十年か、うむ、いいじゃろう。第一関門通過じゃ」

 安次郎は酬恩庵に迎えられた。


戦国を往く連歌師宗長  中世を創った人びと  室町和歌への招待  中世日記・紀行文学全評釈集成(第7巻)  一休とは何か  一休と禅


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2009年03月28日

早雲と一休禅師

陰の流れ 第三部・本願寺蓮如 31.再会1」より早雲と一休禅師



 早雲は京を出ると、一休のいる薪(たきぎ)村(京都府田辺町)の酬恩庵(しゅうおんあん)に向かった。

 一休は早雲の事を覚えていてくれた。しかし、教えを請う事はできなかった。一休はお森(しん)という盲目の女と一緒に暮らしていた。

 早雲は一瞬、目を疑った。一休ともあろう禅師が女犯(にょぼん)を犯していた。早雲も一休の風変わりな行ないは知っていた。しかし、それは、今の禅宗の在り方を批判するための行動だと思っていた。まさか、実際に、女と一緒に暮らしているとは思ってもいなかった。

 早雲は、一休とお森という女のやり取りを見ながら、見なければよかったと後悔した。

 早雲はほんの少しの間、一休と話をしただけで酬恩庵を後にした。

 一休を見損なった、と思った。

 昔はあんな人ではなかった、と思った。

 一休の禅こそ、本物だと信じていた。

 一休は、どうして、あんな風になってしまったのだろう。

 早雲は歩きながら考えていた。考えながら、本物の禅とは一体何なんだろう、と思った。

 女と一緒に暮らせば、禅者ではなくなるのだろうか。

 禅とは、そんなものではないはずだった。

 禅とは何か、という答えを見つけるため、早雲はもう一度、酬恩庵に戻る事にした。

 早雲は一休とお森の仲睦まじい生活を見守りながら、本物の禅とは何か、真剣に考えた。

 座禅をするだけが禅ではない。

 常住坐臥(じょうじゅうざが)、すべてに置いて禅の境地でいなければならないはずだ。

 禅は大寺院の中にいる坊主だけのものではない。人間本来の姿で生活し、その生活の中に生きていなければ無意味と言えた。

 一休は本物の禅をさらに進め、それを実践しているのかもしれない‥‥‥と早雲は考え直した。

 形式にこだわり過ぎていたのかもしれないと思った。世を捨て、禅の世界に生きようと、頭を剃って禅僧のなりをした。確かに禅僧の格好をしていれば、回りは早雲を禅僧と見てくれた。正式に出家したわけではなかったが、駿河では早雲禅師で通っていた。回りから偉い和尚さんだと言われ、得意になっていた。しかし、反面、偽者だとばれやしないかと心配した事もないわけではなかった。今回、一休を訪ねたのも、本当の所を言えば、一休の正式の弟子となって、できれば、一休から印可状を貰い、本物の禅僧になりたかったからだった。そんな思いで訪ねた一休の姿を見て、早雲は初め、失望した。しかし、そのうちに、一休に思いきり殴られたような衝撃を感じるようになって行った。

 早雲は自分がかつて一休と共に語った堕落した禅僧というものに、知らないうちに自分が近づいていたという事に気づいた。二人が語った堕落した禅僧というものは、ろくに修行もしないで、師匠からの印可状ばかり欲しがり、禅僧とは名ばかりで俗世間において出世する事ばかり考えている者たちの事だった。

 禅の世界は自力本願だった。自分の力で悟らなければならず、決して、人から教えられて分かるものではなかった。たとえ師匠であっても、助ける事はできるが教える事はできない。

 一休から見れば、印可状などというのは、単なる自己満足でしかない無用な物であった。禅僧とはいえ、心というものは脆い。自分が開いた悟りを誰かに認められたいと誰もが思う。そして、師匠から印可状を貰って、初めて悟った事を確信する。しかし、一度、悟れば、それで終わりというわけではない。人間、生きている以上、次々に悩みは生まれて来る。それを次々に乗り越える事によって、さらに大きな悟りの境地に達する。悩み、悟り、そして悩み、また悟る、生きている以上、その繰り返しだった。

 本物の禅には印可状など、ないはずだった。

 早雲はその印可状が欲しいために、ここを訪れ、一休の姿を見て、思いきり殴られたような衝撃を感じ、そんな事を考えていた自分を恥じた。一休は自分が考えていた以上に先を歩いていた。早雲は俗世間における形式にこだわっていた自分を恥じた。

 早雲も男だった。女を見ても何にも感じないような木偶(でく)の坊ではなかった。しかし、僧侶の振りをしているため、今まで色欲(しきよく)を抑えて来た。禅僧として、それが当然な事だと思っていた。禅僧としては当然かもしれないが、それは、本物の禅とは言えなかった。

 本物の禅とは、何事にも縛られない、融通無碍(ゆうづうむげ)の境地の事だと思った。欲望を抑えて女を避けているうちは融通無碍の境地とは言えない。何人もの女に囲まれながらも、心を奪われないような境地にならなければならないのだった。

 何事にも囚われず、まったくの自由な境地‥‥‥

 その境地まで行くのは、決して簡単な事ではない。しかし、本物の禅の境地とは、そのようなものに違いないと悟った。

 一休は八十歳を過ぎ、まさしく、その境地に達しようとしているのであった。すでに、融通無碍の境地の中で、お森という女と遊んでいるのかもしれない。

 早雲は一休だけでなく、お森という盲の女も観察していた。この女も一休と同じ境地にいるように思えた。目が見えないため、一休のように苦労しなくても、その境地にたどり着く事ができたのかもしれなかった。

 早雲は晴れ晴れした気持ちで酬恩庵を後にした。


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2009年03月19日

下間蓮崇の百日行

陰の流れ 第三部・本願寺蓮如 32.再会2」より蓮崇の百日行

本願寺を破門になった蓮崇は風眼坊(後の風摩小太郎)と共に吉崎を去り、近江の飯道山に来ます。武術道場として栄えていた飯道山を見た蓮崇は自分も武術を習おうと思い、風眼坊に弟子にしてほしいと頼みます。風眼坊は弟子にしてもいいが、山の中を百日間、歩き通す百日行ができれば弟子にしてやると言います。蓮崇は決心を固めて百日行を始めますが、それは思っていた以上に辛い修行でした。たまたま一緒にいた早雲も自分の悩みを解決するために蓮崇に付き合って百日行を始めます。




 一ケ月が過ぎた。

 山々が色づき始めた。

 蓮崇は歩き通していた。

 体付きや顔付きはすっかり変わって来ていた。髭や髪が伸びて来たせいもあるが、目がギラギラと輝き、一種の気魄(きはく)というものが感じられた。

 風眼坊は、もしかしたら、蓮崇は百日間、歩き通すかも知れないと思った。なぜか、早雲の方がおかしくなって来ていた。ほとんど口も利かなくなり、苦しそうに歩いていた。

 早雲も風眼坊も蓮崇よりも年上だった。風眼坊の方は一年半前までは大峯にいたので、まだ体はできているが、早雲の方は山歩きに慣れているとはいえない。蓮崇程ではないにしろ、かなり、きついはずだった。

 早雲が一番先を歩き、蓮崇が歩き、風眼坊は一番最後を散歩している気分で歩いていた。

 今が一番、きつい時だろう。今を乗り越え、半分の五十日を乗り越えれば、何とか歩き通す事ができるだろうと風眼坊は思った。

 三十三日目だった。

 怪石奇岩の並ぶ、竜王山へと続く道を歩いている時、突然、前を歩く蓮崇が崩れるようにして倒れ込んだ。

 風眼坊は駈け寄った。

 蓮崇は苦しい息をしながら目を剥き、風眼坊の方を見ながら手を高く差し延べ、何かをつかもうとしていた。やがて、その手は力なく落ちると蓮崇は目をつむり、『南無阿弥陀仏』と呟くと、ガクッとなった。

 風眼坊は慌てて、前を行く早雲を呼んだ。

 蓮崇は意識を失い、夢を見ていた。

 蓮崇はお花畑の中に立っていた。

 遠くの方から何とも言えない妙な調べが流れていた。

 空には紫色した雲がたなびいている。

 浄土だな、と思った。

 やっと、浄土に来られた。辛い山歩きも、もう終わったんだな、と思った。

 お花畑の向こうから女の子が蓮崇の方に走って来た。

 誰だろう。

 何となく、見た事あるような気がした。近づいて来るにしたがって、その女の子が蓮崇の娘だと分かった。流行り病に罹って七歳で亡くなった、あや、という娘だった。

 あやは蓮崇に飛び付いて来た。そして、淋しかったと言いながら泣き出した。

 蓮崇は娘と手をつないで、お花畑を歩いていた。

 急に娘が蓮崇の手を引っ張った。蓮崇は引っ張られるままに娘に付いて行った。

 娘に引かれて行った所には綺麗な大きな湖があった。湖の中央に円錐形の形のいい山が聳(そび)えていた。

 娘は蓮崇を水際まで連れて行った。

 水際に女がしゃがみ込んで何かを拾っていた。

 女は蓮崇に気づいて振り向き、ゆっくりと立ち上がった。

 その女は蓮崇の母親だった。しかし、蓮崇がまだ子供だった頃のままで、蓮崇よりも年がずっと若かった。

 女は蓮崇を見て笑った。

 蓮崇も笑ったが、変な気分だった。自分の母親が自分よりも若いという事がおかしかった。

 母親は蓮崇の名を呼んだ。懐かしい声だった。蓮崇は子供に戻ったかのように母親に抱き着いて行った。不思議な事に蓮崇は母親に抱かれた瞬間、子供に変わった。

 蓮崇は母親に聞きたい事が一杯あったが、母親に会った瞬間、そのすべての事が分かったような気がした。

 子供に返った蓮崇は母親に舟に乗せられ、湖に漕ぎ出した。

 蓮崇は、母親が湖の中央に聳える山に連れて行ってくれるものと思っていた。あの山にはきっと阿弥陀如来様がいらっしゃるんだと信じていた。きっと親鸞聖人(しんらんしょうにん)様も本泉寺の如乗(にょじょう)様もいらっしゃると思った。

 湖の中程まで来た時、母親は舟を止めた。

「母ちゃん、どうしたの」と蓮崇は聞いた。

「左衛門太郎や、下をごらん」と母親は言った。

 蓮崇は湖の中を覗き込んだ。

 綺麗な水の下に何かが見えた。大勢の人々が苦しんでいた。

「地獄なんだね」と蓮崇は母親に言った。

「よく見るのよ」

 地獄なんか見たくはない、と思ったが、蓮崇は母親に言われた通り、もう一度、湖の中を見た。

 人々は血を流しなから苦しんでいた。地獄の鬼どもはひどい事をするな、と思ったが、鬼の姿はなかった。人々を苦しめていたのは同じ人間だった。何という悪い事をしてるんだと蓮崇は思いながら目をそむけた。

「駄目よ。よく見なさい」と母親は厳しい口調で言った。

 蓮崇には母親がどうして怒るのか、分からなかった。

 蓮崇はもう一度、湖の中を見た。

 『南無阿弥陀仏』と書かれた旗が見えた。やられているのは本願寺の門徒たちだった。女や子供も逃げ惑っていた。門徒たちを苦しめていたのは守護の兵だった。兵たちは面白がって無抵抗の門徒たちを攻めていた。

「やめろ!」と蓮崇は湖に向かって叫んだ。

「左衛門太郎や、お前は、あの人たちを見捨てるつもりなの」と母親は言った。

「だって、俺にはどうする事もできないよ」

「左衛門太郎や、あのお山には親鸞聖人様や如乗様もいらっしゃるのよ。今のお前が、その方たちの前に行けるの。もう少しすれば蓮如上人様もいらっしゃるでしょう。お前は蓮如上人様と会って何というつもりだい」

「母ちゃん‥‥‥俺、まだ、やらなきゃならない事があるんだ。まだ、あのお山には行けないよ」

「分かってくれたんだね」

「母ちゃん、どうすればいいの」

「飛び込むのよ」

「この中に?」

「そう」

 蓮崇はじっと母親の顔を見つめた。

 母親は頷いた。

 蓮崇は思い切って湖の中に飛び込んだ。

 大きな渦に巻き込まれて、どんどん下に落ちて行くようだった。

 蓮崇は目を明けた。

 風眼坊と早雲の顔があった。

「おい、大丈夫か」と風眼坊の声が聞こえて来た。

「蓮崇!」と早雲は怒鳴っていた。

「大丈夫です」と蓮崇は言って体を起こした。

「よかった‥‥‥死んじまったんかと思ったわ。脅かすな」

「死んだ‥‥‥死んだのかもしれない」

「何を言っておるんじゃ。脅かすなよ」と早雲は言った。

「浄土を見たんじゃ‥‥‥」と蓮崇は言った。

「浄土を見た?」と風眼坊は聞いた。

「はい‥‥‥わしは生き返ったのかもしれん‥‥‥」

「蓮崇、大丈夫か‥‥‥もう、やめた方がいいぞ。もう、充分やったろう、もう、気が済んだはずじゃ」と早雲は言った。

「いえ、大丈夫です。わしは本当に生き返ったんです。生まれ変わったんです」

 蓮崇は立ち上がった。

 体が軽くなったような気がした。

 蓮崇は杖を取り直すと歩き始めた。


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2009年03月11日

夢庵肖柏の謎解き

陰の流れ 第二部・赤松政則 21.松阿弥1」より夢庵の謎解き


 夢庵がのっそりと入って来た。

「わかったぞ」と太郎と金比羅坊を見ながら言った。「えらい事が隠してあったわ」

 夢庵は太郎と金比羅坊の側に座り込むと、巻物を広げた。太郎と金比羅坊は、連歌の書かれた巻物を眺めた。夢庵は、この中に謎が隠されていると言うが、二人にはまったく、わからなかった。

「連歌において一番重要なのは、この初めにある発句(ほっく)と言う奴じゃ」と夢庵は言った。

「発句?」と太郎は聞いた。

「この最初の句じゃ」と夢庵は最初にある性具(しょうぐ)入道(赤松満祐)の句を指した。

「『山陰(やまかげ)に、赤松の葉は枯れにける』ですか」と太郎は読んだ。

「そう、それと、次の脇句(わきく)と第三句も重要じゃ」

「『三浦が庵(いお)の十三月夜』と『虫の音に夜も更けゆく草枕』か」と金比羅坊が読んだ。

「まず、発句じゃが、『山陰』にというのは山名の事で、山名によって赤松家が滅ぼされたという意味じゃが、ただ、それだけではない」

 太郎と金比羅坊は巻物を見ながら、黙って、夢庵の話を聞いていた。

「問題は脇句なんじゃ。『三浦が庵』というのが意味がわからん。この辺りに三浦などという地はないし、それに『十三月夜』というのもおかしい」

「どうして、おかしいのですか」太郎にはわからなかった。

「これを書いたのが九月五日だから、もうすぐ、十三夜になるから詠んだというのならわかるが、脇句というのは発句を受けて詠むものじゃ。発句は『枯れにける』というから季節は冬じゃ。ところが、脇句の季節は秋じゃ。基本としては、脇句は発句と同じ季節を詠む事になっておる。それなのに、わざわざ、『十三夜』と秋の語を入れておる。第三句は脇句を受けて、秋を詠んでおる。第三句としては、もう少し変化が欲しい所じゃが、まあ、問題はない」

 夢庵は、太郎と金比羅坊の顔を見比べた。二人とも、何が出て来るのか期待しながら、夢庵の話を聞いていた。

「さて、問題の『三浦が庵』じゃが、三浦というのは場所じゃなくて、『三裏』の事だったんじゃ」

「は?」と金比羅坊も太郎も夢庵の言った意味がわからなかった。

「詠んだ連歌を書くのに四枚の懐紙(かいし)を使うんじゃが、その懐紙を二つ折りにして、一枚目を初折(しょおり)といい、表に連歌を催した月日や賦物(ふしもの)を書き、初めの八句を書く。そして、裏に十四句を書き、二枚目を二折(にのおり)といい、表と裏に十四句づつ書く。三枚目を三折(さんのおり)といい、四枚目を名残折(なごりのおり)というんじゃ。この三浦というのは、三折の裏の事だったんじゃ」

 夢庵は巻物をさらに広げ、小さく、『三、裏』と書いてある所を指差した。

「ここが、三折の裏じゃ。三浦というのは、ここの事だったんじゃよ。何句あるか、数えてみろ」

 太郎と金比羅坊は数えた。

「十三です」と太郎は言った。

「うむ、十三じゃ。普通、十四あるはずなのに、ここには十三句しかない」

「一句は、どこに行ったんですか」

「一句ずれて、名残折の裏に九句ある。脇句にあった『十三月夜』というのは、この事だったんじゃよ」

「成程、三裏の十三か」と金比羅坊は十三句を眺めながら言った。

「この十三句に、何かが隠されているのですか」と太郎は聞いた。

「ああ、凄い事が隠されておる。ちょっと見た所、おかしい事があるんじゃがわかるかな」

 太郎と金比羅坊は十三の句を読んでみたが、どこがおかしいのか、まったくわからなかった。太郎にしても、金比羅坊にしても、今まで連歌など全然、縁がなかった。一応、読む事ができると言うだけで、その歌の意味するものまではわからなかった。

「松という字じゃ」と夢庵は言った。

 そう言われても、二人には何だかわからない。

「この中に、松と言う字が三つも出て来る。まず、この『松原』、そして『松の下(もと)』、そして、最後の『松に夢おき』じゃ。連歌において『松』という字は、七句以上隔てなければ使えないという決まりがあるんじゃ」

「へえ」と金比羅坊は感心した。

「どうして、隔てなければならないのですか」と太郎は聞いた。

「連歌において、一番嫌うのが同じような事を繰り返し詠む事じゃ。前の句の連想から次の句を詠む。その次の句の連想から、また次の句を詠む。しかし、三番目の句が一番初めの句と似ていたのでは、同じ所をぐるぐる回っているようで、全然、変化も発展もないんじゃよ。それで、次々と発展させるために、この言葉は何回まで使っていいとか、この言葉は何句か隔てれば、また、使ってもいいというような決まりができたんじゃ」

「という事は、『松』という字が、こう何回も出て来るのは良くないという事ですか」

「そういう事になる。まさか、性具入道殿を初め、誰も気づかなかったというわけではあるまい。また、戦の最中で、一々直す暇がなかったのかもしれんが、わしは、そこの所がどうも臭いと思った。何か、『松』という字を並べなければならない理由があるに違いないと思ったんじゃ」

 夢庵が筆と紙を貸してくれというので、太郎は用意した。

 夢庵は巻物を見ながら、まず、最初に、性具の発句を写し、その後に、三折の裏の十三句を全部、ひらがなに書き直した。

 太郎と金比羅坊は、夢庵のする事を黙って見ていた。


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2009年02月05日

蓮如上人の御文

陰の流れ 第三部・本願寺蓮如 1.蓮如1」より蓮如上人の御文


 蓮誓は何を写していたのだろう、と風眼坊は文机の上を覗いてみた。

 手紙のようだが、どうも手紙ではないらしい。教えのような事が、誰にでも読めるように片仮名まじりで書いてあった。

「それ、当流親鸞聖人の勧めましますところの一義の心というは、まず他力の信心をもて肝要とせられたり‥‥‥」

 親鸞聖人とは一体、誰なのか、風眼坊には分からなかったが、最後まで読んでみる事にした。最後まで読んでみて、なぜか、風眼坊の心を打つ物があった。実に分かり易く、本願寺の教えが書いてあった。これなら、何の教養のない者たちでも、聞いていれば、すぐ分かる単純な教えだった。

 風眼坊も勿論、阿弥陀如来は知っていた。熊野の本尊は阿弥陀如来だし、飯道山の本尊も阿弥陀如来だった。しかし、阿弥陀如来というのが、どんな仏様なのか、考えた事もなかった。他の仏様と同じように人々を救ってくれる仏様で、『南無阿弥陀仏』と唱えれば極楽に往生ができるというので、信者たちは何かと言うと『南無阿弥陀仏』と唱えているのだろうと思っていた。浄土宗やら、時宗やら、浄土真宗やら色々とあるが、みんな同じで、死んだ後の事など誰も分からないのをいい事に、坊主どもが、いい加減な事を言って、人々を惑わしているのだろうと思っていた。しかし、風眼坊が今、読んだ文には、阿弥陀如来は、すでに、すべての者を救っていると書いてあった。

 本願とは、人々が救ってくれと願うのではなくて、阿弥陀如来の方が、すべての人々を救うという願いを掛けられたのだと言う。すべての人々は、どんな悪人であろうとも、すでに阿弥陀如来に救われているのだと言う。そして、その事に気づいたら、感謝の気持ちをお礼の意味を込めて『南無阿弥陀仏』と唱えるのだと言う。助けてくれという気持ちで『南無阿弥陀仏』と唱えるのではなく、助けていただいて有り難うございますという気持ちで『南無阿弥陀仏』と唱えるのだと言う。

 風眼坊は繰り返し繰り返し、その文を読んだ。

 すべての人々は、すでに救われている‥‥‥

 こんな教えがあるのか‥‥‥

 凄い教えだと思った。

 風眼坊は天台宗の山伏だが、天台宗の教えは難しくて複雑で、何が何だかさっぱり分からなかった。やたらと難しくしている節さえある。ところが、この本願寺の教えは何と簡単で分かり易いのだろう。こんなに分かり易かったら門徒が増えるわけだった。

 蓮如は門徒を増やして、どうするつもりなのだろう‥‥‥

 風眼坊は、蓮如のような純粋な宗教者というのを知らなかった。宗教者の振りをしているが、一皮剥けば欲の固まりのような坊主しか、今まで会った事はなかった。風眼坊自身、今まで大峯の山上にいて、信者たちに偉そうな事を言っていたが、宗教心から言っていたわけではない。早い話が金儲けに過ぎなかった。信者を増やせば本山は儲かる。その手助けをしていたようなものだった。蓮如もやはり、金儲けのために門徒を増やしているのだろうと風眼坊は思った。

 しかし、すべての者は阿弥陀如来によって、すでに救われている、そして、感謝の気持ちをこめて『南無阿弥陀仏』と唱えるという教えは、風眼坊にも頷けるものがあった。

 風眼坊は長い間、山伏として自然の中で生きて来た。自然の中にいると、目に見えない大きな力というものを感じる。それは、人間の力ではどうする事もできず、また、言葉で説明する事もできない大きな力だった。そして、その大きな力に包まれて生きているという事に、自然と感謝の気持ちというのが涌いて来るものだった。その大きな力というのが、本願寺では阿弥陀如来なのだろうと思った。


蓮如  蓮如  図説蓮如  蓮如「御文」読本  蓮如の「御文」  御文に学ぶ


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2009年01月28日

陰流の太郎(愛洲移香斎)と念流の松阿弥の決闘

陰の流れ 第二部・赤松政則 22.松阿弥2」より太郎と松阿弥の決闘


 雨の中、決闘は始まった。

 山伏姿の太郎は刀を中段に構えて松阿弥を見ていた。

 松阿弥は杖に仕込んであった細く真っすぐな剣を胸の前に、刀身の先を左上に向け、斜めに構えていた。

 お互いに、少しづつ間合いを狭めて行った。

 二人の間合いが二間(けん)になった時、二人は同時に止まった。

 太郎は中段の構えから左足を一歩踏み出し、刀を顔の右横まで上げ、切っ先を天に向けて八相の構えを取った。

 松阿弥は剣を下げ、下段に構えた。

 太郎は八相の構えから刀を静かに後ろに倒し、無防備に左肩を松阿弥の方に突き出し、刀は左肩と反対方向の後ろの下段に下げた。

 松阿弥は右足を一歩引くと下段の剣を後ろに引き、驚いた事に、太郎とまったく同じ構えをした。

 二人とも左肩越しに、敵を見つめたまま動かなかった。

 じっとしている二人に雨は容赦なく降りそそいだ。

 阿修羅坊も金比羅坊も伊助も雨に濡れながら二人を見守っていた。

 太郎は革の鉢巻をしていたが、雨は目の中にも入って来た。顔を拭いたかったが、それはできなかった。

 松阿弥の方は鉢巻もしていない。坊主頭から雨が顔の上を流れていた。松阿弥は目を閉じているようだった。

 松阿弥が動いた。素早かった。

 太郎も動いた。

 それは、ほんの一瞬の出来事だった。

 松阿弥が太郎に斬り掛かって行き、太郎がそれに合わせるように松阿弥に斬り掛かった。しかし、剣と剣がぶつかる音もなく、剣が空を斬る音が続けて二回しただけだった。

 そして、何事もなかったかのように、二人は場所をほんの少し変えて、また、同じ構えをしながら相手を見つめた。

 見ていた三人にも、一体、今、何が起こったのか、はっきりわからない程の速さだった。

 松阿弥は素早く駈け寄ると、太郎の首を横にはねた。太郎の首は間違いなく胴と離れ、雨の中、飛んで行くはずだった。しかし、太郎は松阿弥の剣をぎりぎりの所で避け、逆に、松阿弥の伸びきっていた両手を狙って刀を振り下ろした。

 松阿弥は危うい所だったが、見事に太郎の刀を避け、飛び下がった。

 それらの動きが、ほんの一瞬の内に行なわれ、二人はまた同じ構えをしたまま動かなかった。

 松阿弥にとって、すでに体力の限界に来ていた。今の一撃で終わるはずだった。今まで、あの技を破った者はいなかった。いくら、病に蝕まれているとはいえ、腕が落ちたとは思えない。それを奴は避けた。避けただけでなく、反撃までして来た。

 何という奴じゃ‥‥‥

 誰にも負けないという自信を持っていた。それが、あんな若造に破られるとは‥‥‥

 松阿弥は笑った。それは皮肉の笑いではなかった。心から自然に出て来た笑いだった。

 今まで死に場所を捜して来た松阿弥にとって、自分よりも強い相手に掛かって死ねるというのは本望と言ってよかった。剣一筋に生きて来た自分にとって、それは最高の死に方だった。血を吐いたまま、どこかで野垂れ死にだけはしたくはなかった。

 瞼の裏に、妙泉尼の顔が浮かんで来た。

 妙泉尼が望んでいた太平の世にする事はできなかった。しかし、自分なりに一生懸命、生きて来たつもりだった。もう、思い残す事は何もなかった。

 松阿弥は死ぬ覚悟をして、太郎に掛かって行った。

 運命は、松阿弥の思うようにはならなかった。

 剣が太郎に届く前に、松阿弥は発作に襲われて血を吐いた。地面が真っ赤に染まった。そして、血を吐きながら松阿弥は倒れた。

 見ていた者たちは、太郎が目にも留まらない素早さで、松阿弥を斬ったものと思い込んだ。

 太郎は刀を捨てると、倒れている松阿弥を助け起こした。

 松阿弥は目を開けて太郎の方を見ながら笑った。そして、そのまま気を失った。


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2009年01月22日

陰流の太郎(愛洲移香斎)と神道流の倉田無為斎の試合

陰の流れ 第一部・陰流天狗勝 22.多気の都1」より太郎と倉田無為斎の試合


 太郎と無為斎は木剣を構えた。

 太郎は中段、無為斎は下段だった。

 無為斎は下段に構えるといっても、構える風ではなく、ただ、木剣を持っているだけという感じだった。隙だらけだった。

 太郎は中段に構えたまま、無為斎の目を見つめた。

 無為斎の目はぼんやりとしていた。何を考えているのかまったくわからない。やる気がないというか、ただ、ぼんやりと立っているだけだった。

 太郎は木剣を上段に上げた。

 無為斎の変化はなかった。

 打とうと思えば、どこでも打てた。

 ところが、なぜか、打つ事ができなかった。

 太郎は少しづつ間合いを詰め、上段から、八相の構えに移した。

 無為斎はまったく、変化しない。

 どうした事か、太郎には打ち込む事ができなかった。

 前に、飯道山で高林坊と初めて立ち会った時と同じだった。何もしないでいる無為斎の存在が、やたらと大きく感じられる。しかし、あの時の高林坊は太郎を押しつぶすかのようだったが、無為斎の場合は太郎を静かに包みこんで行くようだった。

 不思議な力に包み込まれ、太郎は身動きができなかった。

 無為斎の木剣が少しづつ上がって、中段の構えとなった。

 無為斎の木剣の剣先が太郎の胸を刺すかのように向けられた。

 太郎は八相に構えたまま動けなかった。

 無為斎は静かに間合を詰めながら、少しづつ剣を上げていった。

 やがて、剣は天を刺すかのように、無為斎の頭上に真っすぐに立った。

 そして、その剣は太郎の左腕めがけて落ちて来た。それは、ゆっくりと落ちて来たように思えたが素早かった。

 太郎に避ける間がなかった。

 無為斎の剣は太郎の左腕をかすりながら落ちて行った。

 無為斎は元の下段に戻ると剣を引いた。

 太郎も剣を引き、無為斎に頭を下げた。

「どうじゃな、今の剣が神道流の極意、天の太刀じゃ」と無為斎は言った。

「天の太刀?」

「うむ、鹿島に古くから伝わる鹿島の太刀の一つじゃ。剣の極意なんていうものは、昔から変わりはせんものじゃ」

「天の太刀‥‥‥初めて見せていただきました」と川島先生が厳粛な面持ちで言った。

「愛洲殿、そなたは確かに強い」と無為斎が言った。「強いが、今のそなたには心に迷いがある。心に曇りがあると剣はにぶる。どんな達人でも心が曇っていれば、それは命取りになる。人は生きている。生きている限り、色々な迷いが生じてくる。その迷いを一つ一つ乗り越えなければならん。剣の道で生きていく限り、常に、心を磨いていなければならんのじゃ」


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2009年01月14日

飯道山の雨乞い

陰の流れ 第一部・陰流天狗勝 13.天狗騒動」より飯道山の雨乞い


 天狗の面をかぶった太郎は鐘の上に腰掛け、村人が集まって来るのを待った。

 何だ、何だと村人たちはぞくぞくと集まって来た。かなりの人数が集まると太郎は鐘の上に立ち上がり、「わしは愛宕山の天狗、太郎坊じゃ」と迫力のある声で言った。

「このお山の飯道権現様に呼ばれて、やって来た。飯道権現様が言うには、雨が降らんのはお山に鐘がないからじゃ、ぜひとも、お山に鐘を上げ、鐘を鳴らして、お山に住む魑魅魍魎(ちみもうりょう)を退治してくれとの事じゃ。この鐘をお山に上げ、一撞きすれば雨は必ず降る」

 太郎はそう言うと太刀を抜き、鐘の上で飛び上がりながら振り回し、太刀を納めると天を見上げ、印を結び、真言を唱えた。最後にヤァー!と気合を掛けると空中で回転しながら鐘から飛び降り、また、鐘の上に飛び乗った。

「皆の衆、天狗様のお告げじゃ。この鐘を運べば雨は必ず降るぞ」と望月が村人たちを見渡しながら大声で言った。

 天狗様じゃ、天狗様じゃと村人たちは綱に飛び付いて行った。

「よーし、運べ!」と太郎が叫ぶと、鐘は嘘のように簡単に動き始めた。

 太郎は鐘の上に乗ったまま、錫杖を振り回し、掛声を掛けた。望月と芥川も鐘の両脇で掛声を掛け、三雲と服部は法螺貝を吹き鳴らした。

 参道を引きずられて行く鐘を見て、村人たちがぞくぞくと集まって来た。男たちは綱を引き、女たちは掛声を掛けた。

 女たちの中に楓の姿もあった。楓も鐘の上で跳ねている太郎を見上げながら、掛声を掛けていた。

 二の鳥居をくぐると、そこから先は女人禁制になっているので、女たちはそこから鐘が山に登って行くのを見送った。

 急な登り坂になっても鐘は面白いように登って行った。鐘は右に揺れたり、左に揺れたり、飛び上がったりしていたが、太郎は落ちる事もなく、その鐘の上を跳びはねながら掛声を掛けていた。まさに、それは天狗の舞いだった。

 村人たちの掛声は山の中に響き渡った。山の中からも一体、何の騒ぎだと山伏たちがぞくぞくと下りて来た。中には村人たちと一緒になって騒ぐ山伏もいた。

 鐘は無事に、百人以上の村人たちの力で山の上まで運ばれ、できたばかりの鐘撞き堂に納まった。

 鐘撞き堂の回りは人で埋まっていた。みんな、「やった、やった」と騒いでいる。

 太郎は鐘撞き堂の上に立ち、空を見上げた。雨が降りそうな気配はまったくなかった。日がかんかんと照っていた。

 太郎は鐘の真下に座り込んだ。両手に印を結ぶと祈り始めた。太郎は生まれて初めて本気で神に祈った。飯道権現、熊野権現、不動明王、天照大神(あまてらすおおみかみ)、八幡大明神など、太郎は知っている限りの神や仏に祈った。

 辺りは急に静かになった。皆が太郎を見つめていた。太郎坊という天狗を見つめていた。

 太郎は何も考えずに、ただ、ひたすら祈った。自分の回りに集まっている人々の事も忘れた。山奥にたった一人でいるような錯覚を覚えた。

 太郎の脳裏に、いつか、阿星山の頂上で見た、釈迦如来の姿が浮かんだ。太郎はあの釈迦如来にひたすら祈った。どれ位、祈っていただろう。太郎は釈迦如来が微笑したように思えた。

 太郎は静かに立ち上がると、空を見上げ、回りを見回した。村人たちは太郎にすがるような目をして見つめていた。

 太郎はもう一度、祈ると、ゆっくりと撞木(しゅもく)の綱を握り、軽く後ろに引き、勢いをつけ、もう一度、思い切り後ろに引き、鐘を撞いた。

 鐘の音は山の中に響きわたった。

 人々は一斉に天を見上げた。

 雨は降らなかった。

 村人たちがガヤガヤし始めた。

 太郎は天を見上げたままだった。

 望月が近づいて来て、「どうする」と囁いた。

 太郎は答えなかった。

 辺りが急に暗くなり始めた。雲が物凄い速さで動いていた。

 ポタッと太郎の天狗の面に雨が一粒、当たった。

「雨じゃ!」と誰かが叫んだ。

「雨じゃ!」とまた、別の者が叫んだ。

 ザーッと雨は急に降って来た。

 乾いていた樹木に雨は勢いよく降り付けた。

 天を仰いでいた人々の顔にも容赦なく降り付けた。

「やったぞ、雨じゃ、雨じゃ!」

 村人たちは皆、小躍りして喜んでいた。

 望月も芥川も三雲も服部も皆、飛び上がって喜んだ。

 太郎は天狗の面をしたまま雨の中で喜ぶ村人たちを見下ろし、天に向かって釈迦如来に感謝した。


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2009年01月06日

早雲庵の正月

陰の流れ 第三部・本願寺蓮如 17.早雲庵」より早雲庵の正月


 駿府から一山越えた石脇の早雲庵にも正月はやって来ていた。早雲庵の正月は、これといって普段と余り変わりないが、それでも何となく、みんな浮き浮きしていた。早い話が、正月だというのに行く所もない連中がゴロゴロしているのだった。

 早雲は狭い庵(いおり)の中に誰がゴロゴロしていても何も言わなかった。一応、早雲庵と呼ばれていても、早雲自身、この庵が自分のものだとは思っていない。小河(こがわ)の長谷川次郎左衛門尉が早雲のために建ててくれたものだったが、早雲は来る者は拒まなかった。別に歓迎するわけでもないが追い出す事もしない。来たい者は来たい時に来て、出て行きたい時に出て行った。

 今年の新年をここで迎えたのは七人だった。主の早雲、富嶽(ふがく)という名の絵師、三河浪人の多米(ため)権兵衛、銭泡(ぜんぽう)と名乗る乞食坊主、円福坊という越後の八海山の老山伏、大和から来た鋳物師(いもじ)の万吉、そして、春雨という女芸人が狭い早雲庵で新年を迎えていた。

 富嶽、多米、円福坊、万吉の四人は早雲庵の常連だった。富嶽と多米の二人は、すでに、ここの住人と言えるし、円福坊と万吉の二人は年中、旅をしていて、この地に来ると必ず早雲庵に顔を出し、しばらく滞在しては、また旅に出て行った。二人共、早雲がこの地に庵を建てるまでは、小河の長谷川次郎左衛門尉の所に世話になっていたが、次郎左衛門尉の屋敷よりも、こっちの方が気楽なので、いつの間にか早雲庵の常連となっていた。今回、たまたま年の暮れに早雲庵に来た二人は、そのまま、ここで新年を迎えた。

 早雲がこの地に来て、すでに三度目の正月だった。去年の正月も一昨年の正月も、今年のように七、八人の者が早雲庵にいたが、女が居座っているのは初めての事だった。

 春雨という女は年の頃は二十七、八の京から来た踊り子で、去年の十二月の十日頃から、ここに居着いてしまっていた。


北条早雲とその一族  戦国の魁早雲と北条一族  北条早雲と家臣団  戦国北条一族  北条早雲  
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posted by 酔雲 at 11:12| Comment(1) | TrackBack(0) | 小説の中の名場面 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする