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陰の流れ 第四部・早雲登場 24.一休禅師」より宗長と一休禅師
安次郎(後の宗長)はまた、雲知に弟子をしてくれと言って断られ、玄関の前に座り込んでいた。
夕方になって、一休が現れ、また『何者じゃ』と聞いた。安次郎は前回と同じように、元駿河今川家家臣、五条安次郎忠長と答えた。一休の答えは前回と同じだった。それだけでなく、玄関の前に座られては邪魔だと水を浴びせられ、それでも動かずにいると、力づくで追い出された。
安次郎は泥だらけになり、仕方なく、その夜は丘の下で夜を明かした。十月の末で寒かったが、安次郎は死に物狂いになって、震えながら一晩中、座り通していた。この夜程、夜明けが待ち遠しく、夜が長いと感じた事はなかった。次の日、安次郎は山に入って柴(しば)を集め、酬恩庵への階段の下に小さな小屋を立てた。それは本当に小さな小屋だった。人一人が座る事のできる程の小さな小屋で、安次郎はその中で、毎日、座っていた。
夜が明けると酬恩庵に行って、弟子にしてくれと頼み、断られ、また、柴小屋に戻って座るという毎日が続いた。安次郎の事はすぐに村中の噂となり、珍しそうな顔して、毎日、見物人がやって来た。中には食べ物を施してくれる者もいて飢え死にだけはしなかった。
三日目に、一休がお森と一緒にやって来て、柴小屋の中を覗き込み、「何者じゃ」と聞いた。
「五条安次郎忠長です」と答えて、安次郎はハッと気づいた。
一休は、そんな事を聞いているのではないという事がようやく分かった。一休が聞いたのは名前や肩書などではなく、もっと本質的なものであるという事を安次郎は気づいた。
一休は、そんな者に用はないと言うと酬恩庵に戻って行った。
安次郎は自分は一体、何者なのかを真剣に考え始めた。自分から名前も肩書も取ってしまったら、自分には一体、何が残るのだろうと考えた。もし、名前や肩書がなくなったとしても、自分というものが消える事はない。この消える事のない自分というものは、一体、何なのだろう。
この村にいる者たちは自分の事を知らない。ある日、この村にやって来て、こんな所に小屋を立てて、毎日、座り込んでいる変わった男だと見ている事だろう。一体、今、ここに座っている自分とは何なのだろうか。
禅僧ではない。勿論、連歌師でもない。今川家の武将でもない。
今の俺は、人から飯を施してもらう、ただの乞食か。
しかし、その乞食をしている自分というのは一体、何なのだ。
安次郎は過去の事を色々と思い出して見た。安次郎は刀鍛冶(かたなかじ)の頭領である五条家に生まれた。父親は今川家のお屋形様を初めとして重臣たちの刀を鍛えていた。次男として生まれた安次郎は家を継ぐ事もなく、幼い頃より禅寺に通って読み書きを仕込まれ、十二歳の時、お屋形様の側に仕えた。それから、ついこの間まで武士として生きて来た。それが、今、こうして、乞食のような格好で、こんな所に座っている。武士として生きていた自分も本当なら、今、こうしている自分も本当の自分だった。自分とは一体、何なのだろうか。
山崎屋六右衛門も心配して、時々、訪ねて来てくれた。そして、もう一人、毎日のように飯を運んでくれる老婆がいた。老婆はただ一言、頑張りなされ、と言って、握り飯を置いて行った。安次郎は今まで握り飯という物をこんなにも感激して食べた事はなかった。飯を食う事など、以前は当然の事だと思っていた。飯を食うという当たり前の事が、こんなにも嬉しい事だったとは考えた事もなかった。毎日、ただ座っているだけだったが、何となく、心が洗われるような新鮮な気持ちだった。禅というものが、何となく分かりかけて来たような気がした。
また、三日後に、一休はやって来て、『何者じゃ』と聞いた。
「分かりません」と安次郎は正直に言った。
「自分が何者か分からんような奴に用はない」と言うと一休は去って行った。
安次郎にも、ようやく、一休という禅師の大きさが分かりかけて来た。山崎屋が言っていたように、一休は海のように大きいという事を感じられるようになっていた。その事に気づいた安次郎は、本気で一休の弟子になろうと決めた。連歌の事は諦めてもいい、一休から本物の禅を教わろうと決心した。
安次郎は山崎屋に頼んで、頭を剃って貰い、決心を固めると、改めて一休の『何者じゃ』という問いに取り組んだ。
十一月になると夜の冷え込みは益々、増して行った。安次郎は、毎日、自分が何者なのかを座り込んで考えていた。
夢庵だったら何と答えるだろうか。
寝そべったまま、ニヤッと笑って、わしは夢庵じゃ、と言うのだろうか。そうすると、一休は何と言うのだろう。
やはり、夢庵などには用はない、と言うのだろうか。
すると夢庵はまたニヤッと笑って、わしも用はない、と言うのか‥‥‥
早雲だったら何と答えるだろうか。
頭を撫でながら、早雲じゃ、と言うのか。
一休は早雲などには用がないと言い、早雲はどう答えるのか。
安次郎には分からなかった。
安次郎は夜空の星に聞いてみた。星はただ輝いているだけだった。
目の前に生えている草に聞いてみた。草はただ、そこにいるだけだった。
また、三日後に、一休は来て『何者じゃ』と聞いた。
安次郎は、「分かりません」と答えた。用はないと言って、一休は去って行った。
安次郎には何と答えたらいいのか分からなかった。何と答えたら、一休は弟子にしてくれるのだろうか。名前ではない事は確かだ。「分かりません」でない事も確かだ。そうなると、ただの人とか、名もない男とか答えればいいのだろうか。
安次郎は自分は何者か、を考えるよりも、何と答えたらいいのかを考え始めた。それは主客転倒だったが、安次郎は気づかなかった。あれこれと考えた末の答えは、『自然の一部である人間の一人』というものだった。安次郎はこの答えなら大丈夫だろうと、三日後、一休に自信を持って答えた。一休の返事は安次郎の思い通りにはならなかった。
「ほう、自然の一部か、それなら、そのまま、そこにずっといろ。いつの日か、望み通りに土になれるだろう」
考えて、考えたあげくの返事がそれだった。安次郎は、もう、どうにでもなれと、考える事をやめた。自分は自分でしかない。他の何者でもなく、自分なんだ。あれこれ、考える必要はない。今、座っている、この姿以外に自分というものはない。
一休の問いに囚(とら)われ過ぎていた事に気づいた安次郎は、もう、自分が何者かを考える事をやめてしまった。もう、ずっとこのまま乞食のままでも構わないと開き直った。開き直ってみると、何だか、急に楽になった。自分が本当に自由の身になったように感じられた。何にも縛(しば)られない、本当の自由の身になれたような気がした。
今川家をやめて旅に出て以来、自由の身になったつもりでいたが、それは本当の自由ではなかった。連歌師にならなければならないという思いが一杯で、せっかく旅に出たのに何も見てはいなかった。上(うわ)の空で、ただ歩いていただけだった。様々な景色を見ていたはずなのに何も思い出す事ができなかった。
安次郎は初めて、目というものの不思議さに気づいた。見えるという事と見るという事は違うという事に気づいた。誰でも目を開ければ何かが見える。見えるからといっても、必ずしも見ているわけではなかった。やはり、見ようとしなければ何も見る事はできないのだった。安次郎は変な事に気づいたものだと、小屋から出ると、改めて回りの景色を眺めて見た。今まで、自分がどんな所に座っていたのか知っているつもりでいたが、改めて、回りを見回してみて気づかない事が色々と見つかった。
不思議な気持ちだった。今まで、自分は何を見ていたのだろうと思った。駿河にいた頃も、こんな風に漠然と物を見ていたに違いなかった。三十年も生きて来て、ろくに物を見ていなかったとは自分が情けなく思えた。もしかしたら、目だけではないのかもしれない。耳も鼻も口も五感といわれている物を、今まで充分に使っていなかったような気がして来た。せっかく持って生まれた物を充分に使わないのは、勿体ない事をして来たものだと思った。反面、その事に気づいた事の喜びもあった。安次郎は景色を楽しみ、心に焼き付けると、また、小屋の中に戻って座り続けた。
目を閉じると、安次郎はじっと耳に澄ましてみた。色々な音が耳に入って来た。風の音、鳥の鳴き声、虫の鳴き声らが快い音として耳に入って来た。そして、柴の匂い、草の香りも新鮮に感じられた。ただ、自分の着ている着物の臭さが気になって来た。一度、気になると、もう溜まらなかった。今まで、全然、気にならなかったのに臭くて溜まらなかった。安次郎は木津川の河原に飛んで行くと、そのまま川の中に飛び込んだ。水は冷たかったが気持ちよかった。
なぜか、嬉しかった。理由は分からないが自然と笑いが込み上げて来て、安次郎は一人、水浴びをしながら笑っていた。まるで、子供の頃に戻ったかのように、水の中で遊んでいる事、それだけで楽しかった。こんな気分になるのは本当に久し振りのような気がした。
今までずっと、武士という枠の中で生きて来た。常に、人の目を気にして生きて来た。やりたい事があっても回りの目を気にして、できなかった。自分でありながら、それは自分ではなかった。五条安次郎というのは、こういう男だと、いつの間にかできてしまった枠の中で生きていた。武士である限り、その枠の中からはみ出す事は許されない事だった。ところが、今の安次郎にはその枠がなくなり、まったくの自由の身になっていた。何をしようと構わない。誰が見ていようと構わない。何をしても、俺は俺だった。
安次郎は水の中で遊びながら、ふと、夢庵の事を思い浮かべた。夢庵は、今の安次郎と同じ境地で生きているに違いないと思った。いつも飄々としている夢庵は、まさしく、自由人だった。安次郎は夢庵を見直し、改めて、会いたいと思った。
着物を洗って草の上に干すと、安次郎はずっと水の中で遊んでいた。そのうち、子供たちがやって来た。子供たちは初めのうちは、寒いのに川の中に入っている安次郎を馬鹿にしていたが、やがて、皆、川の中に入って来て、みんなで日が暮れるまで遊んでいた。
三日後にまた、一休がやって来たが、安次郎は一休の事も忘れて、座ったまま眠っていた。
「何者じゃ!」と一休は怒鳴った。
「はい」と安次郎は跳び起きた。
「何者じゃ」と一休はもう一度聞いた。
「ただの土くれです」と安次郎は答えた。
考えた答えではなかった。その時、とっさに出て来た答えだった。
「とうとう、土くれになったか」
「はい」
「ただの土くれになるまで何日掛かった」
「三十年」
「三十年か、うむ、いいじゃろう。第一関門通過じゃ」
安次郎は酬恩庵に迎えられた。

