2008年07月22日

樋口太郎兼重

樋口太郎兼重は木曽義仲の四天王の1人だった樋口次郎兼光の子孫で、念流を開いた慈音の高弟の1人です。
兼重から子の兼定と念流は受け継がれますが、孫の高重はなぜか、鹿島の神道流を学び、以後、念流は途絶えてしまいます。
高重の時に信州の伊那郡樋口村から上州の吾妻郡小宿村に移ります。55年間、小宿村に住んだ後、同じ上州の多胡郡馬庭(まにわ)村に移ります。
高重の曾孫の定次は父から神道流を学びますが、先祖が伝えたという念流に興味を持ちます。念流を学びたいと願いますが、念流を修めた武芸者と出会う事はできませんでした。
ところがある日、念流の正統を継ぐ目医者が上州に現れたという噂を耳にします。定次はすぐに、友松偽庵と名乗る目医者を馬庭に迎えて、念流を習います。
定次は念流の修行に励み、ついに印可を得て、先祖伝来の念流を再興し、馬庭念流の開祖となります。その後、馬庭念流は代々伝えられて、現在に到っています。


馬庭念流剣術【日本の古武道シリーズ】   日本の古武道  人物日本剣豪伝(3)  戦国剣豪100選
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2007年02月02日

慈音

武術の三大源流と呼ばれるものに陰流、神道流、念流があります。
陰流の流祖は愛洲移香斎(あいすいこうさい)、神道流の流祖は飯篠長威斎(いいざさちょういさい)、そして、念流の流祖は慈音(じおん)です。
慈音は室町時代の初期、正平6年(1351年)に生まれたと伝えられています。移香斎が享徳元年(1452年)生まれ、長威斎が元中4年(1387年)生まれと伝えられていますので、念流が一番古いと言えます。
慈音の本名は相馬四郎義元といい、7歳の時に相模の国の遊行寺に入って念阿弥と名乗ります。遊行聖として各地を旅して、京都の鞍馬山に登った時、異人から武術を習います。鎌倉に戻って、寿福寺の禅僧から秘伝を授かり、筑紫の国の安楽寺で奥義を会得したようです。
その後、還俗して、父親の仇を討ち、鎌倉に戻り、寿福寺で出家して禅僧となり、慈音を名乗ります。58歳の時、信濃の国の浪合村の長福寺を開山して、念和尚と呼ばれたと伝えられています。
慈音自らが念流と称したわけではなく、念和尚が開いた武術なので、弟子たちが念流と言ったようです。
慈音の弟子は数多くいますが、中でも、樋口太郎兼重、堤山城守宝山、中條(ちゅうじょう)兵庫助長秀、二階堂出羽守行義、赤松三首座禅師慈三の5人が有名です。
樋口太郎からは馬庭念流が生まれて、その流れは現在まで続いています。堤山城守からは宝山流が、中條兵庫助からは中條流が、二階堂出羽守からは二階堂流が生まれ、赤松禅師は念流の正統を継いだようです。
中條流からは、富田(とだ)流が生まれ、さらに、一刀流が生まれ、幕末には無刀流も生まれます。

 松阿弥の略歴、念流
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posted by 酔雲 at 11:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 室町時代>人物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする