2007年04月26日

吾妻三十三番観音霊場

鎌倉時代から室町時代にかけて、観音信仰が盛んで、上野の国(群馬県)の吾妻郡にも三十三番観音霊場ができました。
戦国の世に荒廃してしまいましたが、江戸時代に再興されて、庶民たちに信仰されていました。


1番 千手観音 植栗 田長堂 
2番 十一面観音 小泉 さくら堂 
3番 馬頭観音(行基作) 新巻 三苑山観音寺 4月18日縁日
4番 正観音 泉沢 苦抜山正光寺 3月18日縁日
5番 如意輪観音 泉沢 高慈山泉沢寺 3月18日縁日
6番 千手観音 岩井 長福寺 
7番 正観音 厚田 新井山浄慶寺 
8番 千手観音(行基作) 大戸仙人 岩谷山福聚寺 
9番 馬頭観音 三島 大竹山長命寺 4月18日、10月18日縁日
10番 正観音 三島大御堂 三島山普門寺(現浄清寺) 
11番 千手観音 岩下行沢 岩水山行沢寺 
12番 正観音 郷原 小矢山生馬寺 古い記録には12番札所は中之条海蔵寺とあります。
13番 正観音 原町 宝玉山光原寺(現顕徳寺)  
14番 千手観音 原町奥堂 上野山一心寺 
15番 十一面観音 山田車堂 法華山長岡寺 
16番 正観音    〃   明星山光円寺 
17番 正観音 上沢渡 白石山石水寺 
18番 正観音 上沢渡 湯原山西禅寺 
19番 千手観音 下沢渡 菅田山釈浄寺 1月17日縁日
20番 馬頭観音 島三仏堂 大悲山島山寺 
21番 正観音 四万寺社平 法平山万福寺  
22番 十一面観音 五反田馬滑 馬主山徳蔵寺 3月18日縁日
23番 千手観音 五反田 和利山西念寺 
24番 馬頭観音 西中之条 岩崎山法花寺 
25番 馬頭観音 折田 日向山貞光寺 
26番 正観音 西中之条山崎 音羽山宝満寺 
27番 如意輪観音 伊勢町 弘誓山海蔵寺(現中之条小学校) 
28番 十一面観音 青山 青相山円通寺 3月18日縁日
29番 馬頭観音 横尾 百瀬山東向寺 
30番 如意輪観音 横尾 高津山東楽寺 
31番 正観音 蟻川 洗板山蓮華寺 
32番 千手観音 蟻川 悔淵山潮平寺 1月17日縁日
33番 正観音 大塚 榛名山菩提寺
ラベル:寺社
posted by 酔雲 at 11:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 番外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月19日

武士の名前について

現代の名前は姓と実名だけですが、武士の名は姓、苗字、実名、通称、幼名、号などがあって、出家して法名を名乗る人もいました。
たとえば、愛洲移香斎は愛洲が苗字で移香斎は号です。姓は源氏で、実名は久忠、通称は太郎左衛門、幼名は太郎です。
上泉伊勢守は上泉が苗字で、伊勢守が通称です。伊勢守というのは官職名ですが、それが通称として使われていました。天覧試合の後、正式に武蔵守に任命されてからは武蔵守が通称になります。姓は藤原氏で、実名は秀綱、後に信綱に改名します。
武田信玄は武田が苗字、信玄は法名です。姓は源氏で、実名は晴信、通称は太郎、あるいは大膳大夫、信濃守です。
実名というのは魂の籠もった尊いもので、直接、口にするのは非礼な事と考えられていました。そこで、通称という呼び名が生まれます。自分から名乗る時は実名を使いますが、他人を呼ぶ時は決して、実名を呼ばずに通称を使っていました。
時代劇ではよく、「信長殿」「秀吉殿」「家康殿」とか呼んでいますが、本当は、信長でしたら、上総介殿、弾正忠殿、右大将殿とか呼び、秀吉なら、藤吉郎殿、筑前守殿、関白殿と呼び、家康なら、次郎三郎殿、三河守殿、内大臣殿、将軍様、大御所様と呼ぶべきです。しかし、出世するたびに通称は変わって行きます。忠実にやっていたら観ている方が混乱してしまうので、統一した方がわかりやすいのでしょう。
私の小説ではセリフには通称を使っています。読みづらいかもしれませんが、成るべく忠実に表現したいと思っています。


陰の流れ《愛洲移香斎》   摩利支天の風〜若き日の北条幻庵

藤吉郎伝―若き日の豊臣秀吉   時は今‥‥石川五右衛門伝

戦国草津温泉記・湯本善太夫   戦国草津温泉記・湯本三郎右衛門

銭泡記〜太田道灌暗殺の謎   陰の流れ外伝 針ヶ谷夕雲
ラベル:武将
posted by 酔雲 at 10:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 番外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月23日

浅間山噴火の歴史

群馬県と長野県の県境にある浅間山は大昔から噴火を繰り返して来ました。
記録に残っている被害は文禄5年(1596年)5月の噴火で、多数の死者が出たというのが古いようです。文禄5年といえば、豊臣秀吉が亡くなる二年前の事です。
その後も毎年のように噴火を繰り返し、享保6年(1721年)5月に登山者が15人亡くなって、1人が重傷を負っています。
そして、天明3年(1783年)7月に大噴火を起こし、北麓の上州鎌原村が土石流で埋没してしまい、500人近くの村人が亡くなっています。
その後の大噴火は明治44年(1911年)に、何人かが亡くなり、大正2年(1913年)に登山者が1人亡くなっています。
昭和5年(1930年)に死者が6人出て、昭和11年(1936年)に死者1名、昭和13年(1938年)にも遭難者が出ています。
昭和16年(1941年)にも死者1名、昭和22年(1947年)には9人の死者が出ています。
最近では平成16年(2004年)の9月に噴火して、付近の道路が通行止めになりました。

天明三年浅間大焼 鎌原村大変日記
ラベル:浅間山
posted by 酔雲 at 11:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 番外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする