2006年10月01日

嘉吉の変

嘉吉元年(1441年)室町幕府の第六代将軍、足利義教が播磨の守護大名、赤松満祐に殺された事件を嘉吉の変と呼んでいます。
将軍義教はくじ引きによって選ばれた将軍です。五代将軍の義量が19歳でなくなってしまい、四代将軍の義持は後継者を決めないまま、二年後に亡くなってしまいます。義持には義量以外の男の子はなく、幕府の首脳は義持の4人の弟の中からくじ引きで選ぶ事にしました。選ばれたのが、当時、天台座主だった義円大僧正です。10歳から出家していた義円のもとに、将軍の座が転がり込んで来たわけです。義円は35歳で還俗し、義教を名乗って将軍職に就きました。
義教は正長2年(1429)から嘉吉元年までの約12年間、将軍職に就いて幕府の権威を回復しますが、逆らう者は決して許さない独裁者でした。義教に睨まれたら、すべてを失ってしまいます。大名だろうが、僧侶だろうが、公家だろうが、女房だろうが、気に入らなければ死罪や流刑や追放、勿論、所領も没収されてしまいます。誰もが恐れ、義教の機嫌をそこねないようにと気を使っていました。
赤松満祐も恐れていました。同じ守護大名の一色氏や土岐氏が殺され、次は自分の番に違いないと悩みました。殺されるのを待っているよりは、将軍を殺してしまおうと決心するほど思い詰めました。誰もが恐れている将軍だ。たとえ殺したとしても、褒める者はいても責める者はいないだろうと決行してしまいます。
関東を平定した祝いの宴を催すと義教を自宅に招待した満祐は見事に義教の首を討ち取ります。将軍の首を捧げながら赤松軍は播磨に帰りますが、幕府の追討軍に攻められて、源氏の名門、赤松家は滅ぼされてしまいました。


陰の流れ《愛洲移香斎》第二部・赤松政則

嘉吉の変


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posted by 酔雲 at 13:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 室町時代>戦 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする