2008年05月24日

下間蓮崇

蓮如名号


下間蓮崇は蓮如上人が吉崎にいた頃の奏者です。奏者というのは取り次ぎ役で、蓮如の側近くに仕えていました。
越前の国に生まれた蓮崇は幼い頃に和田本覚寺の小僧になって心源と名乗ります。
15歳の時、本覚寺に来た如乗に連れられて加賀二俣の本泉寺に移ります。
25歳の時、本願寺の執事職を務める下間家の娘を嫁に貰って下間姓を名乗ります。
28歳の時、湯湧谷の道場を任され、34歳の時、本泉寺に来た蓮如の供をして東国の旅に出ます。当時、蓮如の拠点だった近江の大津顕証寺に行き、蓮如から蓮崇という名を与えられて側近くに仕える事となります。
そして、1471年5月、蓮如と共に加賀の吉崎に進出します。吉崎御坊を建てる時、蓮崇は中心になって活躍します。
蓮如上人が来た吉崎は門徒たちが大勢集まって栄えますが、応仁の乱に巻き込まれて、門徒たちは一揆を始めます。
1475年8月、蓮崇は門徒たちを扇動して一揆を起こした罪によって破門になってしまいます。蓮如は一揆を治めるために吉崎を立ち退きます。
それから24年後の1499年3月、蓮如の死の5日前に、蓮崇は蓮如から許されますが、蓮如の死の三日後、毒を飲んで自害します。

蓮崇は加賀の一向一揆を起こした張本人として悪者になっていますが、本当にそうだったのでしょうか?
当時の状況を考えると蓮崇は本願寺のために自ら悪者となって、身を引いたのではないかと思われます。
私は「陰の流れ第三部・本願寺蓮如」で、蓮崇が本願寺のために、そして、蓮如のために、自ら悪者になって身を引いた経緯を描いてみました。是非、お読み下さい。


下間蓮崇の略歴


一向一揆論  寺内町の研究(第1巻)  戦国期本願寺教団史の研究  蓮如名号の研究  蓮如上人・空善聞書  


ラベル:本願寺 僧侶
posted by 酔雲 at 13:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 戦国時代>人物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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