草津温泉の湯本家は建久4年(1193年)、源頼朝から湯本の姓と三日月の家紋を授かったと伝えられています。
戦国時代には湯本善太夫が武田家の家臣となって草津温泉を守りますが、長篠の合戦で戦死してしまいます。善太夫の跡を継いだ三郎右衛門は真田昌幸に仕えて、草津温泉を守ります。
江戸時代には真田家の重臣として活躍しますが、寛文5年(1665年)に跡継ぎがないとの理由で湯本家は断絶させられてしまい、草津温泉は天領となってしまいます。
本家の湯本家はなくなってしまいましたが、分家の平兵衛、角右衛門、安兵衛の三家は江戸時代の初期より草津温泉で湯宿を経営していて栄えていました。
初代湯本安兵衛は郷雪と号して、元禄15年(1702年)に亡くなりました。二代目安兵衛は湯守役を務め、享保7年(1722年)に亡くなります。
三代目安兵衛は年寄役を務め、享保15年(1730年)に亡くなります。以後、代々、年寄役を務めています。
四代目安兵衛は東市と号して、安永8年(1779年)に亡くなり、五代目安兵衛は寛政4年(1792年)に亡くなり、六代目安兵衛は安永8年(1779年)、父親より先に亡くなりました。
七代目安兵衛は竹前と号して、享和元年(1801年)に亡くなり、八代目安兵衛は天保15年(1844年)に亡くなり、九代目安兵衛は雷村と号して、嘉永元年(1848年)に亡くなりました。
「草津温泉膝栗毛・冗談しっこなし」では、八代目安兵衛が登場し、九代目が若旦那として登場します。
その後も代々続いて、現在も湯畑の近くで「日新館」という旅館を営んでいます。
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