あまり知られてはいませんが、十返舎一九には二代目を継いだ弟子がいます。本名は糸井武、通称は鳳助といいます。
上州勢多郡花輪村の生まれで、20歳の頃、狂歌師を志して江戸に出て、大田南畝に師事します。滝の糸丈という狂歌名で、文政年間に数多くの狂歌を残しています。
文政6年(1823年)に大田南畝が亡くなると、当時、二代目南仙笑楚満人と称していた為永春水の弟子になって、登仙笑苫人と号します。
その後、27歳の頃に十返舎一九の弟子になって、十字亭三九と号します。一九が亡くなる二年前の文政12年(1829年)に、二代目を譲られたようです。
文政11年に十字亭主人の名で、人情本「谷中の月」を発表、天保7年(1836年)には二世一九の名で、人情本「清談花佳都美」を発表しますが、天保8年、仙石騒動を題材にした作品が、幕府の怒りに触れてしまい、江戸から逐電します。
上州に帰り、名前を変えて赤城山麓に隠れていたようです。ほとぼりの冷めた弘化2年(1845年)に江戸に戻りますが、同門の九辺舎一八(三亭春馬)が二代目十返舎一九を名乗っていました。その後、2人の間で何があったのかはわかりませんが、三九が二代目で、一八が三代目という事に落ち着いたようです。
二代目一九は絵を北斎の弟子の北馬から習い、初代と同じように絵もうまかったようです。
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