感和亭鬼武はもと武士で、本名は前野曼七といいます。神道無念流の剣術の達人で、一橋家の勘定役を務めていたのに、さっさと隠居してしまい、戯作に専念するために侍をやめて町人となった変わり者です。
飯田町に住んでいましたが浅草に移り、山東京伝の門人になって戯作を学び、絵は谷文晁に学んでいます。
文化3年(1806年)に発表した読本『報仇奇談自来也説話(挿絵は葛飾北斎)』が大いに受けて、鬼武は売れっ子作家になります。翌年、『自来也説話』は歌舞伎になり、大坂で上演されて大当たりしました。
十返舎一九とは気が合い、一九が主催している「噺の会」にも参加して、一緒に茶番などをして騒いでいたようです。
「草津温泉膝栗毛・冗談しっこなし」では、鬼武は重要な役で登場します。




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