蔦屋重三郎は「蔦重」と呼ばれ、喜多川歌麿や東洲斎写楽を売り出した版元として有名です。
寛延3年(1750年)の正月、吉原の遊廓内で生まれた蔦重は二十代の半ば頃、吉原の大門前に小さな本屋を開業して、「吉原細見」と呼ばれる遊廓の案内書を売り始めます。
安永9年(1780年)頃から、黄表紙や洒落本、狂歌本などを売り出し、天明3年(1783年)、老舗の版元が居並ぶ通油町に進出します。
寛政3年(1791年)、正月に売り出した山東京伝の洒落本が風紀を乱す違法出版物だと指摘されて、身代を半減されてしまいますが、蔦重は歌麿の美人大首絵を売り出して巻き返します。
そして、寛政6年の5月から、謎の絵師、写楽の役者絵を売り出します。
十返舎一九が「東海道中膝栗毛」を売り出して有名になった頃、蔦重はすでに亡くなっていましたが、売れる前の一九は蔦重に居候して、色々と世話になっていました。若き日の葛飾北斎と曲亭馬琴も蔦重の世話になっています。





