滝亭鯉丈は都八造と称して、一中節の三味線弾きとしても有名でした。寄席にも顔を出して、落語をやったり、一中節や新内節を語りました。手先が器用で、櫛作りや竹細工、象牙細工、駕籠の修繕などもしたようです。
40歳位から滝亭鯉丈の名で滑稽本を書き始め、文政3年(1820年)に売り出した「花暦八笑人」は大いに受けました。
その前年には実の弟の為永春水と組んで人情本「明烏後正夢」を発表します。春水はこれを発展させて、人情本の代表と言われる「春色梅暦」を生み出します。
「草津温泉膝栗毛・冗談しっこなし」では、都八(とっぱち)と呼ばれていた若い頃、鯉丈は十返舎一九と一緒に草津温泉に行っています。弟の春水も越前屋長次郎という名で登場します。






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