
日光例幣使道の玉村宿は飯盛女と呼ばれる宿場女郎が大勢いた事で有名ですが、中でも、玉斎楼(ぎょくさいろう)と呼ばれた万屋(よろずや)は玉村一の旅籠屋でした。
玉斎楼は豪奢な構えで、江戸の吉原にも2軒とはあるまいと言われ、近くにある岩鼻代官所の代官や関東取締出役がよく利用していました。1868年の記録では部屋数が80室もあったと書かれています。40人前後の飯盛女を抱えていたようです。
主人は千輝(ちぎら)幸兵衛(1790-1872)といい、中之条の町田という家に生まれましたが、生家が没落してしまい、玉村の酒屋に婿入りします。機知に富んだ人で、金儲けもうまく、飯盛旅籠屋を始めて大成功します。幸兵衛は絵画、彫刻、俳句、茶の湯、陶芸など多芸に秀でて、玉斎と号しました。旅籠屋の屋号は万屋ですが、人々は玉斎楼と呼び、そちらの名前の方が有名になってしまったようです。
「侠客国定忠次一代記」では、忠次は玉斎楼で大戸の分限者、加部安と出会い、豪勢に遊びます。
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