
笹沢左保原作の「木枯し紋次郎」は1972年正月から中村敦夫主演でテレビドラマ化されて、大ヒットしました。
「あっしには関わりがねえこって」が流行語になり、長い楊枝を口にくわえるのが流行りました。私も紋次郎に憧れて、中山道を歩いたりもしました。
小説の「木枯し紋次郎」は、友人の罪をかぶって三宅島に島送りにされた紋次郎が島抜けして、裏切った友人を斬るという第一話「赦免花は散った」で始まります。この話はテレビドラマ化されていませんが、菅原文太主演で映画化されて、1972年6月に公開されました。菅原文太の紋次郎もそれなりによかったと思います。
原作の第三話「湯煙に月は砕けた」で、紋次郎は足を怪我して伊豆で湯治します。時は天保7年(1836年)、紋次郎は31歳となっています。当時は数え歳だったので、紋次郎は文化3年(1806年)生まれとなります。文化7年(1810年)生まれの国定忠次より4歳年上のようです。
1977年から始まった「新木枯し紋次郎」の第16話「二度と拝めぬ三日月」で、原作者の笹沢左保が国定忠次役で出演しています。見たはずですが、どんな話だったか思い出せません。






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