2008年01月15日

国定忠次と有名な侠客たち

大親分と呼ばれた大前田栄五郎は寛政5年(1793年)生まれですから、忠次より17歳年長です。
「天保水滸伝」で有名な笹川の繁蔵は文化7年(1810年)生まれで、忠次と同い年です。八丈島送りになった津向の文吉も忠次と同い年です。
清水の次郎長は文政3年(1820年)生まれですので、忠次より10歳も若く、忠次との接点はなかったようです。
黒駒の勝蔵は天保3年(1832年)生まれで、忠次より22歳年下、吉良の仁吉は天保10年(1839年)生まれで、忠次より29歳年下です。
竹居の吃安(どもやす)は文化8年(1811年)生まれで、忠次より1歳年下です。記録には残っていませんが、忠次と接点があったかもしれません。忠次が磔刑になった嘉永3年(1850年)、吃安は捕まって新島に島送りになりますが、8年後、島抜けに成功して、甲州に戻って来ます。
上州館林の江戸屋虎五郎は文化11年(1814年)生まれで、忠次より4歳年下、忠次が世話になった藤久保の重五郎の子分なので、忠次とは面識があっただろうと思います。
会津の小鉄は弘化2年(1845年)生まれで、忠次が処刑になった時、まだ5歳でした。


侠客国定忠次一代記


巷説天保水滸伝  からくり乱れ蝶  次郎長富士    


ラベル:侠客
posted by 酔雲 at 16:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 江戸時代>人物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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