
長篠の合戦と言えば、武田勝頼が織田と徳川の連合軍に敗れて、武田の名立たる武将が数多く戦死した事で有名ですが、この合戦で群馬県吾妻郡の武士たちが多く戦死した事はあまり知られていません。
当時、吾妻郡の武士たちは武田の指揮下にあって、真田信綱・昌輝兄弟に従って長篠の合戦に参加しました。
草津温泉の領主で長野原城主の湯本善太夫、鎌原城主の鎌原筑前守、三島城主の浦野下野守、岳山城の池田甚三郎、甚四郎の兄弟、沢渡の富沢治部少輔、岩下城主の富沢但馬守の長男、勘十郎らが戦死して、雁ケ沢城主の横谷左近、植栗城主の植栗河内守が重傷を負ってしまいます。そして、彼らが率いて行った兵たちの半数以上が故郷に戻っては来ませんでした。負け戦だったため、主だった者以外は遺体の回収をすることもできず、彼らは長篠の地に眠ったままです。
なお、この合戦で戦死した武田家の主だった武将は、勝頼の叔父の武田兵庫助、信濃牧之島城主の馬場美濃守、上野箕輪城主の内藤修理亮、駿河江尻城主の山県三郎兵衛、陣場奉行の原隼人佑、侍大将の土屋右衛門尉と甘利郷左衛門、足軽大将の横田十郎兵衛と三枝勘解由左衛門で、吾妻勢を率いた真田兄弟も壮絶な戦死を遂げました。


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