2007年12月29日

長篠の合戦の戦死者

長篠の合戦図


長篠の合戦と言えば、武田勝頼が織田と徳川の連合軍に敗れて、武田の名立たる武将が数多く戦死した事で有名ですが、この合戦で群馬県吾妻郡の武士たちが多く戦死した事はあまり知られていません。
当時、吾妻郡の武士たちは武田の指揮下にあって、真田信綱・昌輝兄弟に従って長篠の合戦に参加しました。
草津温泉の領主で長野原城主の湯本善太夫、鎌原城主の鎌原筑前守、三島城主の浦野下野守、岳山城の池田甚三郎、甚四郎の兄弟、沢渡の富沢治部少輔、岩下城主の富沢但馬守の長男、勘十郎らが戦死して、雁ケ沢城主の横谷左近、植栗城主の植栗河内守が重傷を負ってしまいます。そして、彼らが率いて行った兵たちの半数以上が故郷に戻っては来ませんでした。負け戦だったため、主だった者以外は遺体の回収をすることもできず、彼らは長篠の地に眠ったままです。
なお、この合戦で戦死した武田家の主だった武将は、勝頼の叔父の武田兵庫助、信濃牧之島城主の馬場美濃守、上野箕輪城主の内藤修理亮、駿河江尻城主の山県三郎兵衛、陣場奉行の原隼人佑、侍大将の土屋右衛門尉と甘利郷左衛門、足軽大将の横田十郎兵衛と三枝勘解由左衛門で、吾妻勢を率いた真田兄弟も壮絶な戦死を遂げました。


戦国草津温泉記・湯本善太夫

戦国草津温泉記・湯本三郎右衛門


  


ラベル:合戦
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posted by 酔雲 at 14:47| Comment(2) | TrackBack(0) | 戦国時代>戦 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
群馬に居住します山城好きな者です。北関東、長野、新潟を中心に信玄、謙信の関連した山城に特に関心をもって回っております。
草津の湯本氏は知っておりましたが、草津温泉記・湯本三郎右衛門はオリジナル作品ですか?面白く読ませてもらっております。私も結構あちこち出かけています。よろしかったらHPに立ち寄ってください。また遊びに来ます。
Posted by 富岡武蔵 at 2008年03月23日 23:22
富岡武蔵様、ありがとうございます。
「戦国草津温泉記・湯本三郎右衛門」はオリジナル作品です。「戦国草津温泉記・湯本善太夫」の続編として書きました。
よろしかったら、「善太夫」もお読み下さい。
Posted by 酔雲 at 2008年03月24日 14:20
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