
草津温泉から香草を通って、さらに山奥に入っていくと平兵衛池という静かな沼があります。
昔、草津温泉にあった湯本平兵衛という宿屋の十七歳になる美しい娘が五月の半ば頃、女中たちを引き連れてワラビ狩りに出掛けました。とある綺麗な沼のほとりで一休みした時、お嬢様は喉が渇いたので、水を飲もうと沼に近づきます。水を汲もうとした時、突然、青空が雲に覆われて、薄暗くなって来たと思ったら雨がポツリポツリと降って来ました。
女中たちは驚いて雨宿りができそうな木陰へと逃げ惑います。見る間に雨は激しくなって、雷光がきらめき、雷鳴が鳴り響きます。女中たちは悲鳴を挙げて木陰に固まりました。
辺りはすっかり暗くなって、沼は黒く、不気味な波を高く上げています。この世の終わりかと思う程の恐ろしい光景が三十分位も続きました。ようやく、雨も小降りとなって、黒雲も流れ去り、日が差して来ます。女中たちはホッと胸を撫で下ろして、皆、助かったと喜びあいます。ところが、お嬢様の姿が見当たりません。
さあ大変と女中たちは青くなって捜し回ります。お嬢様はどこにもいません。さては沼に沈んでしまったのかと嘆いていると沼の中央が明るく光り出しました。その光から波紋が広がって、波が汀に打ち寄せます。すると沼の中央から龍が現れました。龍は女中たちを見下ろして、お嬢様の声で、わたしはこの沼の主になりました。おまえたちも悲しまないで、早く帰って二親に知らせて下さいと言ったといいます。以来、平兵衛池と呼ばれています。
「冗談しっこなし」で、草津を去る前に十返舎一九たちは芸者衆を引き連れて、平兵衛池に行って大騒ぎしますが、そこで一九はとんでもない目に遭ってしまいます。
ラベル:草津温泉