近江の国、浅井郷に生まれた火乱坊は伊吹山で修行を積んで、山伏になります。薙刀の修行にも励んで達人となった火乱坊は飯道山に呼ばれ、武術師範として若い者たちを鍛えます。
当時、飯道山には、棒術の達人の高林坊、剣術の達人の風眼坊、槍術の達人の栄意坊がいて、火乱坊を入れて、「飯道山の四天王」と呼ばれていました。
23歳の時に、風眼坊と一緒に飯道山を去って、関東へと旅に出ます。熊野へ帰るという風眼坊と別れ、さらに奥州へと旅を続け、翌年、近江に帰りますが、堅田で運命の出逢いをします。娘の名はつたといい、父親は本願寺の有力門徒でした。
火乱坊は迷う事なく、婿入りして本願寺の門徒となり、蓮如上人から慶覚坊という名前を与えられます。以後、本願寺門徒の中心となって活躍します。
火乱坊(慶覚坊)の略歴






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