2007年08月09日

牛島満陸軍中将

沖縄に死す


牛島中将は沖縄戦の第32軍の司令官です。昭和20年6月23日早朝、長勇参謀長と共に自決して果てます。
鹿児島県出身で、明治39年、陸軍士官学校に入学、大正5年に陸軍大学を卒業します。
大正7年、野戦鉄道司令部参謀としてシベリアに出征し、活躍します。
シベリアから戻ると、陸軍歩兵学校の教官となり、その後、歩兵第三連隊の大隊長を務めます。
大正14年、母校の鹿児島県立第一鹿児島中学の配属将校を命じられ、三年間勤務します。その後は司令部付将校や教育部長などの地味な職を勤め、昭和8年、陸軍省高級副官に任命されて、陸軍大臣に仕えます。
昭和11年の二・二六事件後、その事件の首謀者が所属していた歩兵第一連隊の連隊長を命じられ、混乱していた部隊をまとめます。
昭和12年、陸軍少将に昇進して、鹿児島の第6師団歩兵第36旅団長に任じられ、中国戦線に赴きます。
昭和14年、中国での活躍によって陸軍中将に昇進し、関東軍第11師団長に任命されます。
昭和16年、満州の公主嶺学校の校長に任命され、翌年には陸軍士官学校の校長に任命されます。
そして、昭和19年8月、第32軍の司令官に任命されて、沖縄へと赴きます。57歳でした。
人徳のある将軍だったらしく、沖縄をひどい目に会わせた司令官だったにもかかわらず、非難する沖縄の人たちは少なく、懐かしむ人の方が多いそうです。


沖縄二高女看護隊 チーコの青春


ラベル:沖縄戦
posted by 酔雲 at 09:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 昭和時代>戦争 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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