最初の川中島合戦があった天文22年(1553年)、謙信は24歳、信玄は33歳でした。信玄から見れば、謙信は小憎らしい若造といった感じだったでしょう。
永禄3年(1560年)、謙信は始めて関東に攻めて行きますが、その時、31歳で、46歳だった氏康の本拠地、小田原城を包囲しています。
山本勘助が戦死したのは永禄4年の四回目の川中島合戦で、謙信32歳、信玄41歳でした。
氏康は57歳、信玄は53歳、謙信は49歳で亡くなっています。それぞれの二代目を比べてみますと、北条氏政は1538年生まれ、武田勝頼は1546年生まれ、上杉景勝は1555年生まれで、氏政は勝頼の義兄、勝頼は景勝の義兄という間柄でした。氏政は53歳で切腹、勝頼は37歳で自害、景勝は69歳まで生きました。
桶狭間の合戦の時の織田信長は27歳で、今川義元は42歳でした。
信長、秀吉、家康の年齢差は、信長が1534年生まれ、秀吉は1536年生まれ、家康は1542年生まれで、信長と秀吉は2歳違い、秀吉と家康は6歳違いでした。信長が49歳で本能寺で殺された時、秀吉は47歳、家康は41歳で、信長を殺した明智光秀は53〜55歳でした。
信長と光秀が亡くなった後、秀吉は63歳まで生き、家康は75歳まで生きました。



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