2018年01月01日

尚巴志伝 あらすじと解説 第二部 17.武当山の仙人

サハチ(尚巴志)、ウニタキ、ファイチの三人は応天府(南京)から武当山へと向かいます。
軽い気持ちで武当山に行こうと決めましたが、武当山は思っていたよりもずっと遠くにありました。
7日目にシンシンという若い娘を助けて、9日目に南陽という城壁に囲まれた街に着きました。
南陽で三人は薬屋の主人に声を掛けられ、今朝、消えてしまったシンシンも一緒にいました。
薬屋の主人はファイチの師匠のヂャンサンフォン(張三豊)で、シンシンはその弟子でした。
驚いた事にヂャンサンフォンは百六十一歳だと言います。
ヂャンサンフォンは若い頃、日本に行った事があってヤマトゥ言葉が話せました。
サハチとウニタキはヤマトゥ言葉で、ヂャンサンフォンから色々な事を聞きました。

サハチとウニタキはヂャンサンフォンに武術の指導を頼み、ヂャンサンフォンと一緒に武当山に向かいます。
三日目にようやく武当山に着き、山の麓にファイチの妹、ファイホンがいました。
ファイチはファイホンとの再会を喜びます。
次の日、シンシンの案内でサハチたちは武当山に登ります。
山の中には破壊された建物があちこちにあって、再建されずに放置されていました。
南岩という所で崖に突き出した所にある香炉に線香を立てて、その日はヂャンサンフォンの弟子のスンビーユンが管理している朝天宮という道教寺院に泊まりました。



◇張三豊の略歴

1247年、モンゴル支配下の遼東(遼寧省)に生まれる。字は君宝、幼名は全一。
1251年、目の病気に罹り、なかなか治らず失明寸前になる。
1252年、張雲庵(白山上人)の弟子になり、碧落宮で道教の経典と武術を7年間勉強する。
1259年、張雲庵から卒業して、河南省の嵩山少林寺で修行する。
1266年、両親が亡くなり、故郷を離れて、修道の道を求める旅に出る。
     ・陝西省の宝鶏山中にて、「三豊」と号す。
1271年、クビライが元を建国。
1276年、首都臨安(杭州)が無血開城し、南宋が滅びる。
1313年、陝西省の終南山に入り、火竜真人に出会い、金丹大道の修煉法(不老長寿の術)を教えてもらう。
1317年、火竜真人から「辰砂点化法」の秘訣を教えてもらって山から降り、俗世間に戻って修煉する。
1323年、武当山の山麓の玉虚宮で武術の研究に専念する。
1332年、武当山を下りて旅に出る。
1359年、武当山が白蓮教徒によって破壊される。
1368年、朱元璋、明を建国する。
1370年、武当山に戻り、山麓に庵を建てて住む。
1376年、一度息を引き取るが、埋葬される段階でまた生き返る。
1383年、明の洪武帝(朱元璋)から招聘されるが辞退する。
1390年、孫碧雲、朝天宮を再建する。
1394年、孫碧雲、洪武帝と会う。孫碧雲は朝天宮の住持となる。
1402年、永楽帝、即位する。
1407年、永楽帝は武当山に張三豊を探させるが見つけられず。



登場人物

・サハチ(尚巴志)
島添大里按司。
父は中山王の思紹。
妻は伊波按司の妹、マチルギ。
父を中山王にして、明国に旅立つ。

・ウニタキ
表向きは地図を作っている重臣の三星大親。
中山王の裏の組織「三星党」の頭領。
妻は尚巴志の叔母のチルー。
尚巴志を守るために一緒に明国に行く。

・ファイチ(懐機)
中山王の客将。
久米村からアランポー一族を追い出し、長史のワンマオと一緒に新しい久米村を造っている。
旧友に会うために尚巴志と一緒に明国に行く。

・シンシン(杏杏)
ヂャンサンフォンの弟子。

・ヂャンサンフォン(張三豊)
武当山の道士。ファイチの師匠。

・ファイホン(懐虹)
ファイチの妹。リャンウェイの妻。

・リャンウェイ(梁威)
ヂャンサンフォンの弟子。ファイホンの夫。

・スンビーユン(孫碧雲)
ヂャンサンフォンの弟子。朝天宮の住持。



尚巴志伝


ラベル:尚巴志伝 琉球
posted by 酔雲 at 13:45| Comment(0) | 尚巴志伝 あらすじと解説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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