2017年11月06日

尚巴志伝 あらすじと解説 第二部 9.泉州の来遠駅

泉州湾に入った進貢船は何艘もの小舟に引っ張られ、広い川をさかのぼって港に入ります。
港は街のはずれにあって、サハチ(尚巴志)たちは川船に乗り換えて、泉州の街に向かいます。
泉州の街は高い城壁に囲まれた城塞都市でした。
サハチとウニタキは広い川に架かった石の橋を見て驚きます。
琉球人の宿泊施設である「来遠駅」は城壁に囲まれた街の外にあり、川から運河がつながっていて船に乗ったまま行けました。

石垣で囲まれた「来遠駅」は思っていたよりも広く、建物がいくつも建っていて、宿泊施設も二階建ての立派な建物でした。
サハチとウニタキとファイチは三人で一部屋に入ってくつろぎました。
別の建物には、先に来ていた山南王の者たちが滞在していました。
山南王の使者は宇座按司の息子で、すでに応天府(南京)に向かっていました。

憧れの明国に来たサハチとウニタキはじっとしていられず、ファイチと一緒に外に出ました。
広い道には石が一面に敷かれてありました。
景色を眺めながら広い道を真っ直ぐ行くと城塞都市に入る大きな門がありました。
街全体を城壁で囲むなんて、サハチたちには考えられない事でした。

その夜、歓迎の宴が開かれて、会場を明るく照らしているローソクに驚きます。
豪華な料理を食べて、綺麗所の妓女たちも参加して、楽しい宴となりました。

翌朝、ファイチを訪ねて来た者がありました。
メイファンの手下で、メイファンの家族が皆殺しにされたと言います。
サハチとウニタキとファイチはメイファンを助けるために使者たちとは別行動を取ります。



・泉州の歴史
1087年、泉州に貿易管理機関である福建市舶提挙司(市舶司)が置かれる。
1250年、蒲寿庚、泉州の提擧市舶になる。
1276年、元、南宋を滅ぼす。
1279年、クビライは楊州、湖南、贑州、泉州四省において日本侵攻用の戦艦600艘の造船を命じる。
1290年、マルコ・ポーロが泉州に来る。
1345年、モロッコ生まれの旅行家イヴン・バトゥータが泉州に来る。
1351年、白蓮教徒の集団が各地で反乱を起こし、紅巾の乱が勃発する。
1352年、城壁を拡張する。
1368年、洪武帝、明国を建国する。
1370年、洪武帝、寧波・泉州・広州に三市舶司を設置する。
1374年、洪武帝、三市舶司を廃止して民間貿易を全面的に禁止する。
1385年、琉球の進貢船が泉州に初めて来る。宿泊施設は寺院。
1403年、永楽帝、三市舶司を復活させて朝貢国の入朝に備える。
1405年、大食(タージー)の屋敷跡に「来遠駅」が設置される。
1469年、福建市舶提挙司が、泉州から福州に移り、「柔遠駅」が設置される。



登場人物

・サハチ(尚巴志)
島添大里按司。
父は中山王の思紹。
妻は伊波按司の妹、マチルギ。
父を中山王にして、明国に旅立つ。

・ウニタキ
表向きは地図を作っている重臣の三星大親。
中山王の裏の組織「三星党」の頭領。
妻は尚巴志の叔母のチルー。
尚巴志を守るために一緒に明国に行く。

・ファイチ(懐機)
中山王の客将。
久米村からアランポー一族を追い出し、長史のワンマオと一緒に新しい久米村を造っている。
旧友に会うために尚巴志と一緒に明国に行く。

・サングルミー
与座大親。中山王の正使。
山南王のシタルーと一緒に明国の国士監に留学して、帰国後、中山王武寧の正使となる。
明国から帰国すると武寧は亡くなっていて、思紹が中山王になっていたが、思紹に仕える。



尚巴志伝


ラベル:琉球 尚巴志伝
posted by 酔雲 at 17:05| Comment(0) | 尚巴志伝 あらすじと解説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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