2007年05月29日

お菊(甲斐御前)

お菊は武田信玄の娘で、お松(信松尼)の妹です。姉のお松ほどではないにしろ、母親の油川殿に似て美人だったようです。
父の信玄が本願寺と同盟を結んだ時、お菊と伊勢長島の顕証寺顕忍との婚約が決まりました。お菊が8歳、顕忍は10歳でした。
ところが4年後、婚約者の顕忍は織田信長に攻められて戦死してしまいます。その前年に父親の信玄も亡くなり、お菊は、母親と実兄の仁科五郎のいる信濃の国の仁科郷に移ります。
天正6年(1578年)3月、越後の上杉謙信が亡くなり、養子の三郎景虎と喜平次景勝の争いが始まります。景虎は北条家の息子で、武田勝頼の嫁も北条家の娘です。当然、勝頼は景虎を応援するために越後に出陣します。越後府中の近くまで行った時、景勝から味方になってくれと誘いが掛かります。
勝頼は重臣たちと会議を重ねて、景勝方に寝返る事に決めます。
もし、景虎が上杉家の跡継ぎになってしまうと、越後、上野、武蔵、相模が北条領となって、武田領の信濃と甲斐は囲まれてしまいます。今は同盟を結んでいるとはいえ、先の事はわかりません。北条が織田と手を結べば、挟まれた武田は滅ぼされてしまうかもしれない。そんな事になりよりは景勝を助けて恩を売っておいた方がいいと考えたのです。さらに、景勝が提示した黄金一万両というのも魅力でした。
景勝と同盟を結んだ勝頼は、景勝に武田家の娘を嫁として送る約束をします。選ばれたのは、17歳になっていたお菊でした。あまりにも突然の話で驚きましたが、お菊は姉のように出家するような度胸はありません。武田家の娘に生まれた定めだと諦めて、遠い越後へと嫁いで行きます。
景虎に勝って上杉家の跡を継いだ景勝はお菊を歓迎し、甲斐御前と呼んで大切にします。

戦国草津温泉記・湯本三郎右衛門


ラベル:戦国の女性
posted by 酔雲 at 12:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 戦国時代>人物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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