天文6年(1537年)、信濃の国真田郷に生まれます。
信綱が5歳の時、真田一族は甲斐の武田信虎らに攻められて故郷を追われ、上野の国の箕輪城主、長野業政を頼ります。
天文12年、幸隆は、父親の信虎を追放して武田家の当主となった晴信(後の信玄)に仕えます。この時、7歳だった信綱は家族と共に甲府に移ります。
2年後、幸隆は真田郷を取り戻し、その後、戦でも活躍します。父親の活躍によって、信綱は元服した時、晴信から「信」の字を賜って、信綱を名乗ります。
甲府で成長した信綱は晴信の側近衆となり、200騎を率いる大将となって、川中島の合戦、上野進攻、駿河進攻、三増峠の合戦、三方ヶ原の合戦などで活躍します。
天正2年(1574年)5月、父の幸隆が亡くなると、38歳で跡を継ぎます。それ以前に幸隆が隠居して、跡を継いでいたのかもしれませんが、詳しい事はわかりません。
真田家の当主となった信綱でしたが、翌年の5月21日、長篠の合戦で弟の兵部丞昌輝と共に無念の戦死を遂げてしまいます。

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