2007年05月13日

北条氏政

小田原北条氏四代目の当主が氏政です。父親は北条氏康、母親は今川氏親の娘です。
氏政は次男でしたが、兄の新九郎が二十歳前後で亡くなってしまったために跡継ぎになりました。
17歳の時、北条家と武田家が同盟を結び、氏政は武田信玄の長女(黄梅院)を嫁に迎えます。当時、黄梅院はまだ12歳でした。
永禄2年(1559年)の暮れ、22歳の氏政は45歳の氏康から家督を譲られます。北条家のお屋形様になったわけですが、依然、氏康が「御本城様」と呼ばれて支配権を握っていました。
永禄11年(1568年)12月、武田信玄は同盟していた今川氏の駿河の国に進攻して、駿府を占領してしまいます。この時点で、北条、武田、今川の三国同盟は崩れます。翌年の正月、氏康の命令で、氏政の妻、黄梅院は甲府に送り返されます。14年間、連れ添った氏政と黄梅院は仲睦まじかったそうです。夫と子供と別れさせられ甲府に帰った黄梅院は悲しみに暮れて、6月に亡くなってしまいました。
武田との同盟が壊れた後、氏康は上杉謙信と同盟を結びます。その時、人質として送られた氏政の弟、三郎は謙信に気に入られて、景虎という名を与えられ養子に迎えられます。
元亀2年(1571年)10月、氏康は57歳で亡くなります。亡くなる時、頼りにならない上杉との同盟をやめて、武田と同盟するようにと遺言します。氏政は遺言に従って、武田との同盟を復活させます。
天正3年(1575年)の黄梅院の七年忌に、氏政は分骨を小田原に迎えて、早雲寺の塔頭として黄梅院を造営しています。

戦国草津温泉記・湯本善太夫

戦国草津温泉記・湯本三郎右衛門


ラベル:武将
posted by 酔雲 at 10:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 戦国時代>人物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。