2014年07月17日

三好日向

 尚巴志の武術師範を誰にするかを考えた時、まず、浮かんだのは神道流の流祖の篠長威斎でした。しかし、長威斎は尚巴志よりも15歳も年下でした。
 次に、念流の慈音を調べると、尚巴志よりも二十歳位、年上でした。年齢的には丁度いいのですが、慈音が琉球に来るというのは、少し無理があるので、慈音の弟子という事にしました。新しい人物を創作しようと思っていた時、ふと、「陰の流れ」に登場した「智羅天」の事が頭に浮かびました。愛洲移香斎と出会った時、百歳を過ぎていたはずでした。調べて見ると、尚巴志の父親の思紹よりも一つ年下でした。これは丁度いいと思い、登場してもらう事にしました。
 勿論、「陰の流れ」に「智羅天」を登場させた時に、こんな展開になるとは思ってもいませんでした。「陰の流れ」で登場した場面は、ほんのわずかでしたが、以後、移香斎の生き方にかなりの影響を与えています。彼の若き日の姿を書いてみたいと思いました。
 日向の剣術の師匠は慈音です。遊行聖として旅を続けていた慈音と出会った日向は共に旅をしながら、剣術の指導を受けます。二年間、共に旅をしながら修行を積んだ日向は、故郷に帰り、戦で活躍します。美しい妻を迎え、子供もできて幸せに暮らしますが、戦のために家族を失ってしまいます。
 失意のどん底に落とされた日向は、世を恨み、世を儚んで、故郷を去ります。博多で、早田三郎左衛門と出会い、対馬島に行きます。そして、戦のない平和な国へ行こうと、早田三郎左衛門の船に乗って、琉球に行きます。琉球に来てみると、海の美しさに驚き、まるで、夢の国のようだと喜びますが、やはり、琉球にも戦はありました。
 琉球も長居する場所ではないと思いますが、共に旅をしたサハチに興味を持ち、サハチの剣術師範として残る事にします。サハチのヤマトゥ旅にも同道して、対馬島でサワと再会しますが、また別れて、琉球に戻ります。
 サハチの父が隠居して、サハチが佐敷按司になってからは、サハチの弟たちの指導に当たります。
 倭寇のお頭に扮して、久高島に行き、サグルーと会って話をしているうちに、サグルーを助けるために山賊になろうと決心します。それからは、サグルー父子のために裏で活躍して、サハチは島添大里按司になり、サグルーは中山王になります。
 今後の展開はわかりませんが、多分、尚巴志がなくなるまでは琉球にいるでしょう。その後、ヤマトゥに帰って、山伏となり、1470年に、愛洲移香斎と出会い、すべての技を伝授して亡くなります。その頃、琉球では尚巴志の一族は滅ぼされ、尚円王統が始まっていました。


尚巴志伝

陰の流れ《愛洲移香斎》


      


posted by 酔雲 at 15:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 酔雲独言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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