2007年04月15日

戦国時代の善光寺如来様

長野県の善光寺の御本尊、阿弥陀如来様は戦国時代、武田信玄と上杉謙信の川中島の合戦に巻き込まれて、しばらく旅に出ておりました。
天文22年(1553年)8月、第一回目の川中島合戦の時、上杉謙信は善光寺の仏像と仏具の一部を奪い取って越後の府中に移します。この時は御本尊の阿弥陀如来様は無事でした。
弘治3年(1557年)2月、甲斐の武田信玄は善光寺を占領して、善光寺の仏像や仏具を奪い取って甲府に運びます。この時、御本尊の阿弥陀如来様も甲府へと旅をなされ、善光寺は壊滅します。
永禄元年(1558年)9月、信玄は甲府に善光寺を創建して、善光寺如来様を御本尊になさいました。
天正10年(1582年)3月、武田家は滅亡し、甲府の善光寺にいらした善光寺如来様は織田信長に連れられて、岐阜へと移されます。その年の6月、本能寺の変で、信長の亡くなると、信長の次男、信雄によって清須に移されます。
いつの頃かわかりませんが、徳川家康は信雄と交渉して、善光寺如来様を清須から浜松へと移します。その後、家康は甲府に戻しています。
慶長2年(1597年)、豊臣秀吉は善光寺如来様を甲府から京都に迎えて、方広寺の御本尊になさいました。しかし、翌年、秀吉の体調が悪くなって、善光寺如来様の祟りとの噂が広まり、秀吉は信濃に送り返しました。秀吉の夢の中に現れて、信濃に帰りたいと告げたとも伝えられています。
40年余りの長い旅をして信濃にお帰りになった善光寺如来様は、徳川家康によって再興された善光寺に落ち着きました。以後、徳川幕府の庇護のもとに善光寺は復興を遂げました。

戦国草津温泉記・湯本善太夫


ラベル:寺社
posted by 酔雲 at 10:15| Comment(0) | TrackBack(2) | 戦国時代>文化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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