2007年04月05日

円覚坊

円覚坊は信濃の国、飯縄山の山伏です。山伏は修験者、行者とも呼ばれ、半僧半俗の修行者です。一般の人が入らない山奥で厳しい修行を積んで不思議な力を身に付けて、加持祈祷などをして、困っている人々を救いました。
武術の鍛錬している者も多く、円覚坊は陰流を身に付けていました。陰流の流祖、愛洲移香斎の弟子、八郎坊が飯縄山に来て、山伏たちに陰流を教えたので、陰流は飯縄山の周辺に広まります。円覚坊は八郎坊の孫弟子に当たる栄山坊から陰流を習い、さらに、栄山坊の師の禅明坊という老山伏からも指導を受けて、陰流を極めます。
禅明坊から、流祖の愛洲移香斎がまだ生きている事を知った円覚坊は移香斎を捜す旅に出ます。円覚坊、20歳の時でした。噂を頼りに各地を旅して、23歳の時、上野の国の上泉城にたどり着きます。上泉城には、移香斎の最後の弟子、上泉伊勢守がいました。伊勢守から移香斎の居場所を聞いて、円覚坊は草津の湯に登ります。
山の中の湯治場で、移香斎は瓢雲庵と称して、癩病(ハンセン病)患者たちを治療していました。もう武術は捨てたと言って、剣を手にする事はありませんでした。円覚坊はいつの日か、陰流の極意を授かろうと、移香斎の住む庵の隣に庵を立てて住み込みます。一年程、移香斎の側にいましたが、何も教えてもらえず、移香斎は亡くなってしまいます。
円覚坊は失望して、草津を離れて旅に出ます。旅を続けていても、移香斎が草津でしていた事を忘れる事ができません。円覚坊は再び、草津に戻って来ます。
もしかしたら、陰流の極意は人を殺す技の中にあるのではなく、人を生かす事なのではないかと思った円覚坊は移香斎の真似をしようとします。しかし、なかなか、癩病患者の中に入ってはいけません。第一、円覚坊は移香斎のように医術に関する知識がありません。円覚坊は白根明神に行って、医術の詳しい者から教えを請おうとして、成就院という山伏と出会います。成就院は湯本善太夫の大叔父でした。
武術の腕を見込まれ、円覚坊は成就院から善太夫の武術指南役を頼まれます。これも移香斎の導きなのかもしれないと円覚坊は引き受けます。

戦国草津温泉記・湯本善太夫

戦国草津温泉記・湯本三郎右衛門


ラベル:修験
posted by 酔雲 at 10:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 戦国時代>人物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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