2007年03月17日

奥山休賀斎

上泉伊勢守門下の四天王の1人です。本名は奥平孫次郎公重といい、三河の国、奥山郷の生まれです。三河からどういう経路で上州まで来たのかはわかりませんが、伊勢守が上泉城にいた頃の弟子のようです。
伊勢守から印可を貰った後、三河に帰って奥山明神に籠もり、剣の奥義を悟ったと伝えられます。その時、新陰流を神陰流(神影流)に改めたようです。奥山流を称したという説もあります。
高弟には小笠原源信斎がいて、源信斎の門下に針ヶ谷夕雲がいます。若き日の徳川家康も休賀斎を武術指南役に迎えて、指導を受けています。
慶長7年(1602年)、77歳で亡くなりました。

陰の流れ外伝 針ヶ谷夕雲
タグ:武芸者
posted by 酔雲 at 11:35| Comment(2) | TrackBack(0) | 戦国時代>人物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
はじめまして、歴史が好きなので、このBlogに目が止まりました。名前の通りで、奥山休賀斎の末裔と父に言われております。幕末は、老中の井上家の家臣で、浜松のあと、明治になる寸前に千葉の鶴舞に移封されました。戦争で刀を供出せねばなりませんでしたので、刀箪笥一杯にあった数十本の刀は政府に取られ、祖母が嫁ぐときに持ってきた懐刀(女性用、もっぱら自害用)だけが、今でも伝わっております。刀箪笥も満州へ行くには邪魔ですし、刀以外に収まりのいいものは女性のパンティくらいで、あまり使い道のないものですの、捨てられてしまったようです。
Posted by 奥山 英二 at 2008年06月21日 03:50
奥山英二様、コメントありがとうございます。
Posted by 酔雲 at 2008年06月21日 12:58
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