2007年03月08日

博奕打ちの世界

博奕打ちの一家には親分、子分、孫分、兄弟分、叔父分、隠居、そして、三下奴(さんしたやっこ)の身分がありました。
親分は貸元(かしもと)とも呼ばれ、縄張りを持って一家を張ります。
子分には親分と直々に盃を交わした手作りの子分、先代の子分でしたが、改めて、盃を交わした譲りの子分、よその一家から来て子分になった者は世話内の子分と呼んでいました。世話内の子分は跡目を継ぐ事はできなかったそうです。孫分は子分の子分の事です。
兄弟分には五分の兄弟分、四分六の兄弟分、七三の兄弟分、二分八の兄弟分の四種類ありました。五分の兄弟分は対等のつきあいで、お互いに「兄弟」と呼びあいます。四分六の兄弟分は兄が六分、弟が四分で、兄は弟に対して「兄弟」と呼び、弟は兄を「兄貴」と呼びます。七三の兄弟分は兄が七分、弟が三分で、兄は弟を「お前」と呼び、弟は兄を「兄さん」と呼びます。二分八の兄弟分は兄が八分、弟が二分で、兄は弟を「お前」と呼んで、弟は兄を「兄様」と呼びます。弟分の格が上がる時は盃を改めます。
叔父分には叔父貴、叔父御、叔父様の三種類あって、叔父貴は先代の親分の弟分、叔父御は先代の親分と五分五分の兄弟分、叔父様というのは先々代の親分の兄弟分だったようです。
三下奴は子分の盃をまだ貰っていない若者で、子分の盃を貰うには半年から二、三年の修行を積まなければなりませんでした。
賭場での役割は代貸(だいがし)、中盆(なかぼん)、出方(でかた)というのがあって、代貸は親分の代理として賭場の管理をします。中盆は勝負の進行をはかり、出方はお客の接待に当たります。三下奴は履物の番をしたり、使い走りをしたり、見張りに立ちました。
国定忠治は無宿者を殺して武州に逃げ、大前田栄五郎の弟分の藤久保の重五郎のもとで三下奴の修行をします。高萩の万次郎と出会って、万次郎の弟分になります。上州に戻ると、栄五郎の兄弟分の百々村の紋次の子分になって、紋次の跡を継いで、百々一家の親分になります。そして、本拠地を百々村から国定村の隣村、田部井村に移して、国定一家を名乗ります。

嗚呼美女六斬

侠客国定忠次一代記


ラベル:侠客
posted by 酔雲 at 11:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 江戸時代>文化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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