2007年03月04日

日光例幣使道、木崎宿と木崎音頭

木崎宿は飯盛女という女郎が大勢いた事で有名でした。
国定忠治が処刑される五年前の弘化2年(1845年)には旅籠屋が29軒あって、飯盛女は183人もいたそうです。越後から売られて来た娘が多かったようです。
吉田屋という旅籠屋におとらという飯盛女がいて、忠治のお気に入りでした。忠治が捕まって木崎宿に送られた時、おとらが差し入れをしたと伝えられています。
飯盛女たちが唄い始めて流行し、盆踊りに唄われた唄に「木崎音頭」というのがあります。「木崎音頭」は「八木節」の原型だと言われています。

蒲原郡柏崎在で、小名を申せば、あかざの村よ
雨が三年、日照りが四年、都合あわせて七年困窮
新発田様への年貢に迫り、姉を売ろうか、妹を売ろか
姉はジャンカで金にはならん、妹を売ろうと相談なさる
妹売るにはまだ年若し、年が若くば年期を長く
五年五ヶ月、五五二十五両、売られ来たのはいといはせねど
顔も所も知らない方に、足をからむの手をさしこめの
五尺体の五寸のなかで、もくりもくりとされるがつらい

国定忠次外伝・嗚呼美女六斬

侠客国定忠次一代記


ラベル:街道
posted by 酔雲 at 12:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 江戸時代>文化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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