江戸で役者絵や美人絵を売り出しますが、24歳の時、兄弟子と喧嘩をして、故郷に帰り、木崎宿に落ち着きます。
日光例幣使(れいへいし)街道の木崎宿は飯盛女と呼ばれる宿場女郎が大勢いて賑わっていました。貞利は飯盛女たちを美人絵に描いて売り出し、評判になります。そして、飯盛女たちの生活を題材にした艶本(春本)も描いて、こちらも大いに受けます。
博奕打ちの親分である島村の伊三郎が後ろ盾になって、貞利は毎年、美人絵や艶本を売り出します。
天保5年(1834年)、境宿で、小町と呼ばれた美しい娘が行方知れずになり、5日後、バラバラにされた死体が絹市の後に発見されます。貞利が美人絵に描いた娘だったので、責任を感じて、下手人の捜索を手伝い、見事に下手人を捕まえます。
貞利はそのバラバラ殺人事件を題材にして、艶本を描きます。『嗚呼美女六斬(ああびじょむざん)』と名付けた艶本は、目をそむけたくなるような残酷な場面が多い艶本でしたが、旦那衆たちが競って買い求め、大評判になりました。
とはいっても、貞利は私が創作した人物です。貞利の活躍を描いた『国定忠治外伝・嗚呼美女六斬』をお楽しみ下さい。



ラベル:浮世絵師