1番目は長女で、太田道灌の孫、太田資高に嫁ぎます。
2番目は次女で、香沼姫と呼ばれ、世田谷御所の吉良頼康に嫁ぎます。
そして、三番目が長男の氏康です。
4番目は三女で、葛山氏元に嫁ぎます。氏元の父親は氏綱の弟なので、従兄妹同士の婚姻です。
5番目は次男の弥九郎ですが、23歳で亡くなってしまいます。若くして亡くなってしまったため、詳しい事はわかりません。戦死だったのか、病死だったのか、死ぬまで、どこの城を守っていたのか不明です。
6番目は四女で、福島綱成に嫁ぎます。この綱成は今川家の家臣、福島正成の子で、父親が戦死した後、小田原に逃げて来て、氏綱に助けられます。武将としての才能に恵まれていたようで、氏綱は「綱」の字を与え、婿養子に迎えて北条姓を名乗らせます。綱成は氏康亡き後も、氏政を助けて長老として活躍します。
7番目は三男の為昌で、二代目玉縄城主になります。この為昌も不思議な事に23歳で亡くなっています。戦死なのか、病死なのかわかりません。そして、なぜ、実名に「氏」ではなく、「為」という字が付いているのかも不思議です。
8番目は五女で、崎姫と呼ばれ、今川氏の一族である堀越氏延の妻になります。
9番目は四男の氏堯で、幻庵の婿になって、幻庵の長男、三郎が戦死した後、小机城主になっています。
末っ子は六女で、古河公方の足利晴氏に嫁ぎました。
ラベル:武将
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