2007年02月11日

北条氏康

氏康は早雲の孫で、氏綱の長男です。幼名は伊豆千代丸といい、永正12年(1515年)、小田原城で生まれます。
氏康が生まれた時はまだ伊勢氏を名乗っていて、祖父の早雲は84歳でしたが健在でした。氏康が生まれた翌年、早雲は三浦道寸の籠もる新井城を落として、相模の国を平定します。
氏康が5歳の時に、祖父は大往生を遂げます。氏康の記憶の中に祖父の面影が残っていたかはわかりませんが、周りの家臣たちから祖父の活躍話は何度も聞いて、自分も祖父のようになりたいと思った事でしょう。
10歳の時、父氏綱は扇谷上杉氏の江戸城を攻め落として、武蔵の国へと進出して行きます。そして、伊勢姓を北条姓に改めます。
15歳の時に元服して、父親と同じように祖父の名、新九郎を継ぎ、北条新九郎氏康を名乗ります。
20歳の時、今川氏親の娘を嫁に貰います。父親の氏綱と今川氏親は従兄弟同士なので、はとこ同士の結婚でした。美人だった北川殿の孫なので、美しい娘だったに違いありません。
氏康と新妻は仲睦まじく、翌年には長男が生まれます。ところが、結婚してから三年後、今川家は長年、敵対していた甲斐の武田家と同盟を結んでしまいます。氏綱は今川家と断交しますが、氏康の妻は実家に戻る事なく、北条家に留まって、次男の氏政、三男の氏照、四男の氏邦、五男の氏規と後に活躍する子供たちを産みます。
氏康が27歳の時、氏綱は亡くなってしまいました。早過ぎる父親の死でしたが、氏康は立派に三代目を継いで、北条領国を広げて行きます。そして、関東の地を舞台に、甲斐の武田信玄、越後の上杉謙信との三つ巴の戦国絵巻が演じられる事になります。

戦国草津温泉記・湯本善太夫

戦国草津温泉記・湯本三郎右衛門


北条氏康  北条氏康  向う疵北条氏康  北条氏康
ラベル:武将
posted by 酔雲 at 10:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 戦国時代>人物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。