2007年02月08日

葛山氏広

伊勢(北条)早雲の三男、氏広は駿河の国の駿東郡に勢力を持っていた葛山(かづらやま)氏の養子になります。葛山氏は母親の実家で、跡継ぎに恵まれなかったため、婿養子に入ったようです。
氏広は中務少輔と称して、永禄6年(1563年)まで生きて、73歳の長寿を全うしますが、詳しい事はわかりません。
伊豆の国を拠点に関東へと進出して行った北条氏と駿河の国から遠江へと進出して行った今川氏は同盟を結んでいましたが、天文6年(1537年)、長年、敵として共に戦っていた甲斐の武田氏と今川氏が同盟を結んだ事にって、北条と今川の同盟は壊れて、敵対関係になります。その時、間に挟まれた葛山氏はどんな態度を取ったのか、今の所、勉強不足の私にはわかりません。
天文6年以前に、氏広の子の氏元は北条氏綱の娘を嫁に迎えています。お互いに従兄妹同士なので、北条氏との繋がりが強く、北条方に付いていたのかもしれません。
17年後の天文23年(1554年)、北条、今川、武田の三国同盟が成立します。氏広も一安心した事でしょう。

摩利支天の風〜若き日の北条幻庵
ラベル:武将
posted by 酔雲 at 17:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 戦国時代>人物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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