2007年02月02日

慈音

武術の三大源流と呼ばれるものに陰流、神道流、念流があります。
陰流の流祖は愛洲移香斎(あいすいこうさい)、神道流の流祖は飯篠長威斎(いいざさちょういさい)、そして、念流の流祖は慈音(じおん)です。
慈音は室町時代の初期、正平6年(1351年)に生まれたと伝えられています。移香斎が享徳元年(1452年)生まれ、長威斎が元中4年(1387年)生まれと伝えられていますので、念流が一番古いと言えます。
慈音の本名は相馬四郎義元といい、7歳の時に相模の国の遊行寺に入って念阿弥と名乗ります。遊行聖として各地を旅して、京都の鞍馬山に登った時、異人から武術を習います。鎌倉に戻って、寿福寺の禅僧から秘伝を授かり、筑紫の国の安楽寺で奥義を会得したようです。
その後、還俗して、父親の仇を討ち、鎌倉に戻り、寿福寺で出家して禅僧となり、慈音を名乗ります。58歳の時、信濃の国の浪合村の長福寺を開山して、念和尚と呼ばれたと伝えられています。
慈音自らが念流と称したわけではなく、念和尚が開いた武術なので、弟子たちが念流と言ったようです。
慈音の弟子は数多くいますが、中でも、樋口太郎兼重、堤山城守宝山、中條(ちゅうじょう)兵庫助長秀、二階堂出羽守行義、赤松三首座禅師慈三の5人が有名です。
樋口太郎からは馬庭念流が生まれて、その流れは現在まで続いています。堤山城守からは宝山流が、中條兵庫助からは中條流が、二階堂出羽守からは二階堂流が生まれ、赤松禅師は念流の正統を継いだようです。
中條流からは、富田(とだ)流が生まれ、さらに、一刀流が生まれ、幕末には無刀流も生まれます。

 松阿弥の略歴、念流


ラベル:武芸者
【関連する記事】
posted by 酔雲 at 11:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 室町時代>人物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。