2007年01月16日

長尾伊玄

長尾伊玄は入道する前は長尾四郎右衛門尉景春といって、管領上杉氏の家宰を勤める長尾景信の長男に生まれます。越後の長尾氏出身の上杉謙信とは同族です。
景春が31歳の時、上杉軍の中心になって活躍していた父親が陣中で亡くなってしまいます。景春が家督を継ぐはずでしたが、上杉家の老臣たちの評定の結果、家宰職を継ぐのは父親の弟、景春から見れば叔父の忠景に決まってしまいます。
当時の管領、上杉顕定がまだ20歳だったので、老臣たちは経験豊富で思慮分別のある忠景を家宰職に選んだのでしたが、景春は管領が忠景の長男を可愛がっているので、その父親を選んだに違いないと疑い、管領や老臣たちを恨みます。
景春は勝手に兵を引き連れて本拠地の白井(しろい)城に引き上げると拗ねたように引きこもってしまいます。何とか恨みを晴らしたいと思ってはいましたが、管領の上杉氏を相手に戦っても勝てる見込みはありません。ところが、以外にも上杉方の武将たちの中にも管領のやり方に反感を持っている者が多いという事がわかって来ます。
景春は頭を丸めて伊玄入道と号し、父親の喪に服していると見せながら、反乱の計画を進めます。父の死から三年後の文明8年(1476年)、伊玄は実行に移します。祖父が築いた鉢形城に入り、管領軍の本陣である五十子(いかっこ)の陣を攻めたのです。一度目は失敗に終わりますが、翌年の正月、敵の隙をついて攻め寄せ、見事に打ち破ったのです。
家臣の身でありながら主家に叛いた下克上の始まりで、長尾景春の乱と呼ばれます。
その後、太田道灌に敗れて伊玄は五十子の陣から退去し、さらに、鉢形城も攻め落とされて、古河公方を頼って逃げます。道灌が生きているうちは伊玄の思い通りにはなりませんでしたが、文明18年(1486年)、道灌が暗殺されると、再び、勢力を盛り返して、死ぬまで管領上杉氏に反抗し続けました。
12歳年長だった太田道灌にはどうやってもかないませんでしたが、伊玄はなかなか優れた武将だったようです。80年後に生まれていたら、上野の国の戦国大名になって、武田信玄、上杉謙信、北条氏康らと互角に戦っていたでしょう。

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ラベル:武将
posted by 酔雲 at 23:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 戦国時代>人物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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