2007年01月12日

三浦道寸

道寸は相模守護の扇谷(おおぎがやつ)上杉氏の生まれですが、7歳の時に守護代の三浦高時の養子になります。15歳の時に元服して、三浦新介義同(よしあつ)を名乗ります。
三浦家の跡継ぎとして、戦でも活躍しますが、義同が34歳の時、男子のなかった養父に長男、駒若丸が生まれます。養父は駒若丸を可愛がり、三浦家は二つに分裂してしまう可能性が出て来ます。
見かねた義同は、2年後に自ら身を引いて出家し、道寸を名乗ります。三浦家のために身を引いたのですが、道寸の復帰を願う家臣も大勢いました。
堀越公方を滅ぼして伊豆の国に進出して来た伊勢早雲の勧めもあって、道寸は復帰する決心を固めます。明応三年(1494年)の9月、早雲の援軍も加わり、新井城を攻め、養父と駒若丸を殺して三浦家の家督を取り戻します。
その翌年、伊豆の国を平定した早雲は相模の国へと進攻して、大森氏の小田原城を奪い取ってしまいます。味方だった早雲に裏切られ、道寸は早雲を相模の国から追い出すために戦い続けますが、早雲の智略には勝てず、ついには新井城に閉じ込められてしまいます。
永正13年(1516年)7月、4年近くの籠城の末、食糧も尽き果て、最後の総攻撃を仕掛けて道寸は討ち死にし、相模の名族、三浦氏は滅亡します。道寸は60歳前後、早雲は85歳になっていました。

摩利支天の風


相模三浦一族とその周辺史


ラベル:武将
posted by 酔雲 at 12:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 戦国時代>人物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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