武神を祀る鹿島神宮は古くから武術が盛んで、その武術は『鹿島の太刀』と呼ばれてました。卜伝も幼い頃から武術の修行を始めます。
10歳の頃、同じ神職を務める塚原家の養子となって、塚原新右衛門を名乗り、武将としても活躍していた松本備前守の弟子になって、『鹿島の太刀』の修行に励みます。
17歳の頃、諸国修行の旅に出ます。各地を回って、何度も真剣勝負をやっては勝っていたようです。戦にも出て、兜首をいくつも取りました。
30歳の頃、故郷に戻って来て、鹿島神宮に千日間参籠して、悟りを開き、極意を『一つの太刀』と名付けます。この頃、上州の上泉から若き日の伊勢守が鹿島に修行に来ていました。伊勢守の師も松本備前守なので、卜伝と伊勢守は兄弟弟子という間柄になります。
剣の悟りを開いた後も、鹿島に落ち着く事なく、さらに修行の旅を続けます。50歳を過ぎて、入道となって、卜伝と号します。
卜伝の弟子には将軍の足利義輝、伊勢の国司、北畠具教、一羽流を開いた諸岡一羽、霞流を開いた真壁暗夜斎、天道流を開いた斎藤伝鬼坊、武田家の家臣、海野能登守らがいます、
卜伝自身は『新当流』を名乗ってはいなかったようですが、いつの頃からか、卜伝の流派は『卜伝流』とか『新当流』と呼ばれるようになりました。





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