2006年12月20日

海野能登守輝幸

海野能登守は上野国羽尾(群馬県吾妻郡長野原町)城主、羽尾治部少輔の三男に生まれます。
幼い頃より剣術の修行に励み、18歳頃、武術の聖地だった鹿島に行って、新当流の塚原卜伝の弟子になります。卜伝と共に諸国修行の旅をしながら修行を積みます。
30歳の頃には師の卜伝と別れて、一人で旅をしていたようですが、甲府に落ち着いて、若き日の武田信玄に武術を教えます。
甲府で嫁も貰って子供も生まれますが、一ヶ所に落ち着く事のできない性格らしく、40歳を過ぎた頃、また旅に出てしまいます。
京の都で偶然、師の卜伝と再会して、共に剣術好きの将軍、足利義輝の御前で新当流の武術を披露する事になります。
三年後、再び、京都に来た能登守は三好長慶に追われて朽木谷に隠れていた将軍義輝を訪ねて、武術の指導をしています。この時、将軍から『輝』の字を賜って、輝幸を名乗ります。
その後、故郷に帰って、甲府にいた家族も呼んで、岩櫃城主の斎藤越前守に仕えます。岩櫃城内に道場を開いて、若い者たちに武術を教えていましたが、五年余り経った頃、武田軍が吾妻に攻め寄せて来ました。先鋒として攻めて来たのは同族の真田幸隆でした。
真田幸隆は岩櫃城を囲みますが、険しい岩山の中にある岩櫃城は簡単には落とせそうもないと判断して、和睦という形で一旦は引き上げます。
二年後、真田幸隆は再び、岩櫃城を攻めます。この時、すでに武田に内通している者も多く、岩櫃城は落城します。能登守も兄の長門守と共に寝返って、武田方となります。
能登守と長門守の兄弟は所領を没収されて、信濃へ退去しますが、幸隆の推挙もあって三年後に岩櫃城代となって戻って来る事ができました。

戦国草津温泉記・湯本善太夫

戦国草津温泉記・湯本三郎右衛門


ラベル:武芸者 武将
posted by 酔雲 at 09:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 戦国時代>人物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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