2006年11月23日

浅間山噴火の歴史

群馬県と長野県の県境にある浅間山は大昔から噴火を繰り返して来ました。
記録に残っている被害は文禄5年(1596年)5月の噴火で、多数の死者が出たというのが古いようです。文禄5年といえば、豊臣秀吉が亡くなる二年前の事です。
その後も毎年のように噴火を繰り返し、享保6年(1721年)5月に登山者が15人亡くなって、1人が重傷を負っています。
そして、天明3年(1783年)7月に大噴火を起こし、北麓の上州鎌原村が土石流で埋没してしまい、500人近くの村人が亡くなっています。
その後の大噴火は明治44年(1911年)に、何人かが亡くなり、大正2年(1913年)に登山者が1人亡くなっています。
昭和5年(1930年)に死者が6人出て、昭和11年(1936年)に死者1名、昭和13年(1938年)にも遭難者が出ています。
昭和16年(1941年)にも死者1名、昭和22年(1947年)には9人の死者が出ています。
最近では平成16年(2004年)の9月に噴火して、付近の道路が通行止めになりました。

天明三年浅間大焼 鎌原村大変日記


ラベル:浅間山
posted by 酔雲 at 11:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 番外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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