17歳の時に西金寺の謙翁宗為に師事して、名を宗純と改めます。21歳の時、師の謙翁が亡くなってしまい、思い詰めて自殺をしますが、未遂に終わっています。もし、この時、一休が亡くなっていたら、その後の歴史が変わっていたかもしれません。一休の影響を受けた有名人が大勢、いますので、彼らの生き方も変わってしまったに違いありません。
自殺未遂から立ち直った一休は堅田禅興庵の華叟宗曇に師事します。そして、25歳の時、師の宗曇から「一休」という号を授かります。27歳の時、カラスの鳴く声を聞いて悟りを開いたと伝えられています。
39歳の頃には堺に住み、45歳の頃には京都に売扇庵という庵を立てて住んでいます。63歳の時、薪村の妙勝寺を再興しています。
応仁の乱が始まった時には74歳になっていて、乱を避けて薪村の酬恩庵に移ります。78歳の頃、森という盲目の女性と再会して、以後、一緒に暮らします。
亡くなったのは文明13年(1481年)11月21日、88歳の大往生でした。一休の他にも、狂雲、夢閨、瞎驢、曇華とも号しています。
一休禅師の略歴







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