山中にあった飯道寺は天平年間(729〜749年)に聖武天皇の勅願によって、良弁僧正が紫香楽宮の鬼門鎮護のために建立したそうです。
戦国時代の頃は山中に50以上の僧坊が建ち並び、大勢の山伏たちが修行していました。梅本院・岩本院、成就院、宝寿坊、快玄坊、奥之坊、仙良坊、岩之坊、但馬坊、北之坊、順光坊、池之坊、愛宕坊、理教坊、教学坊、福谷坊、千寿院などの名が記録に残っています。平等岩、覗き岩、胎内くぐり、蟻の門渡りなどの行場は今も残り、僧坊跡の石垣も残っています。
甲賀や伊賀で発達した忍びの術は山伏たちの武術から生まれているので、飯道山は忍びの術の発祥の地だったのかもしれません。
織田信長が安土に城を築いた頃から、飯道山の山伏たちは信長の味方となって、陰で活躍しています。天正9年(1581年)10月9日、伊賀攻めの検分に赴く途中、信長は飯道山に泊まっています。








ラベル:修験