2012年06月05日

伊波按司(いはあじ)

尚巴志の妻は伊波按司の娘です。
伊波按司は沖縄本島中部の伊波グスクの城主です。以前は北部の今帰仁(なきじん)グスクの城主の息子でしたが、羽地(はねじ)按司に攻められて城を奪われてしまいます。何とか逃げのびて越来間切(ごえくまぎり)の山中に隠れていた所を村人に助けられ、伊波にグスクを築いて伊波按司になります。
南部の佐敷に住む尚巴志と中部に住む伊波按司との接点は何だったのでしょう。母親の父親、美里子(みさとのし)が越来間切の美里の出身で、そのつながりから知り合ったのでしょうか。
尚巴志の妻となった伊波按司の娘は1391年に次男の尚忠(しょうちゅう)を産んでいます。尚巴志が20歳(数え年)の時です。その前に長男を産んでいるはずですから、二人が結ばれたのは18歳前後の事でしょう。祖父の佐銘川大主に連れられ船で旅に出て、偶然、出会ったのかもしれません。
尚徳(しょうとく、尚巴志の孫)王の頃の事ですが、首里城では刀を差した女官が取次ぎ役として仕えていたようです。もしかしたら、それは尚巴志の妻が考えた事で、妻自身が女武者だったのかもしれません。敵討ちに燃えて幼い頃から武術の修行に励んでいたのかもしれません。尚巴志との出会いで二人が戦い、尚巴志が負ければ面白い話になりそうです。
伊波按司の弟は読谷山(ゆんたんざ)間切の山田にグスクを築いて読谷山按司となり、孫に護佐丸(ごさまる)が生まれます。護佐丸は尚巴志の北山攻撃に加わって活躍し、今帰仁グスクの城主に任命されます。
尚巴志の外戚となった伊波一族は尚巴志と共に勢力を広げて行き、子供たちは安慶名グスク、具志川グスク、喜屋武グスクなどの城主になっています。そして、尚巴志が沖縄本島を統一すると子孫たちは南部の主要グスクの按司となります。


尚巴志伝


          

          


ラベル:琉球
posted by 酔雲 at 12:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 琉球王国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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