2012年05月28日

屋蔵大主(やぐらうふぬし)

屋蔵大主は尚巴志の曾祖父です。
父親は沖縄本島南部の与座按司で、兄の大里按司に攻められて戦死してしまいます。屋蔵大主は追っ手を逃れて伊平屋島にたどり着きます。伊平屋島出身の家臣の手引きがあったのかもしれません。
我喜屋に落ち着いた屋蔵大主は我喜屋のノロ(神女)と結ばれて佐銘川大主が生まれます。農耕に精を出して富農になったそうですが、日本の商人(倭寇)を相手に取り引きをして、鉄を手に入れ富を蓄えたのではないでしょうか。「鮫皮」あるいは螺鈿(らでん)細工に必要な「ヤコウガイ」、合戦に必要な「法螺貝」などと鉄を交換したのかもしれません。
蔵を八つも持っていたので八蔵(屋蔵)大主と呼ばれたそうですが、私は「与五郎(ユグラー)」という名が「屋蔵」になったのではないかと思います。与座の五郎で与五郎です。曾孫の尚巴志の名は佐敷の八郎で佐八です。サハチを中国風に書くと「尚巴志」となります。明国が尚を姓と勘違いしたため、以後、尚を姓として名乗る事になります。
尚巴志の父の思紹は中山王になった時、佐敷按司を尚巴志に譲って隠居していました。隠居していたとはいえ、皆から「師匠」と呼ばれていたのではないでしょうか。
何の師匠か? 時は戦国の世です。武術の師匠だったのではないでしょうか。当時、白樽親方という武将が「白樽の棍」という棒術を編み出しています。思紹も自ら編み出した武術を家臣たちに教えていたのではないでしょうか。尚巴志の軍師だった明人の懐機(かいき)が「師匠」を「思紹」に替えて明国に伝えたのでしょう。


尚巴志伝


          

          


ラベル:琉球
posted by 酔雲 at 13:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 琉球王国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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