2012年05月09日

佐銘川大主(さめがわうふぬし)

佐銘川(鮫川)大主は尚巴志の祖父です。
1330年頃、伊平屋(いへや)島で生まれます。父親は屋蔵(やぐら)大主、母親は我喜屋(がきや)のノロです。
父親の屋蔵大主は隣の伊是名(いぜな)島も支配下に置き、長男の佐銘川を伊是名島に配置します。
ある年、飢饉となり、佐銘川は蔵に蓄えてあった食糧を島民たちに分け与えていましたが、島民たちが暴動を起こして島から追い出されてしまいます。
佐銘川は船で今帰仁(なきじん)に逃げ、夢のお告げによって馬天(ばてん)浜(佐敷)に向かいます。馬天浜に落ち着いた佐銘川は漁をして生活していました。ある日、大城按司(うふぐしくあじ)と出会い、見込まれて娘婿となります。そして、苗代大親(思紹)が生まれます。
その後、どうなったのかはわかりません。思紹が中山王になった時、もし生きていたとすれば76歳前後ですので亡くなっていたかもしれません。
以上が尚巴志の祖父、佐銘川大主の略歴ですが、私は「佐銘川」というのは「鮫皮」の事ではないかと思います。
鮫皮は日本刀の柄に巻かれ、日本刀作りには欠かせない材料です。鮫皮と呼んでいますが、実は鮫の皮ではなく、エイの皮です。当時、日本は南北朝の動乱で日本刀は大量に生産されました。その日本刀に必要な鮫皮は日本では採れません。日本の商人(倭寇)は鮫皮を求めて琉球にやって来たはずです。
琉球に行く前に伊平屋島で水の補給などをした商人たちから「鮫皮」を集めれば、鉄や陶器など欲しい物と交換できる事を聞いた佐銘川は伊是名の島民たちを使って「鮫皮」集めを始めます。
島民たちを使って鮫皮を集めても、日本の商人が来なければ、欲しい物は手に入りません。日本の商人たちも毎年、来ていたわけではないでしょう。佐銘川の言う通りに「鮫皮」を集めても、欲しい物が手に入らないので、島民たちが怒って佐銘川を追い出したしまったのではないでしょうか。
それに、鮫皮を保存するには鞣さなければなりません。鞣し方も商人たちから教わったのでしょう。鮫皮をなめすためにエイを解体すると物凄い臭いが充満します。島中が臭くなってしまい、それも佐銘川が追い出された原因でしょう。
伊是名島を追い出された佐銘川は各地の漁師たちから話を聞き、馬天浜が最もエイ漁にふさわしい場所だと悟って、馬天浜で「鮫皮」集めを再開します。大城按司の援助もあって、佐銘川は「鮫皮」で財をなし、「鮫皮大主」と呼ばれるようになったのではないでしょうか。
「鮫皮」で鉄や陶器ばかりでなく、武器も大量に手に入れて、孫の尚巴志の中央進出を助けたのだと思います。





尚巴志伝


          

          


ラベル:琉球
posted by 酔雲 at 09:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 琉球王国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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