明治20年(1887年)、草津の町内に住み着いていたハンセン病患者たちは湯の沢(現在の大滝の湯の周辺)に集められます。文明が開化して、観光に力を入れようとしていた町にとって、彼らが目障りだったので、町のはずれに移動させたのです。
昭和7年(1932年)に国立療養所の「楽泉園」が開設され、患者たちは皆、そこに収容されて世間とは隔離されてしまいます。楽泉園ができるまでの45年間、湯の沢はハンセン病患者たちの村でした。
そんな村に、イギリスからやって来て、私財を投げ打ち、救済活動を続けたのがコンウォール・リー女史です。
明治41年(1908)、リー女史はキリスト教の宣教師として日本に来ます。51歳でした。東京近辺で布教活動しながら、日本語を習得します。イギリスの名門の家に生まれて、いくつもの大学で勉学に励んだリー女史は語学も堪能で、日本語もすぐに覚えたようです。
初めて草津温泉を行ったのは大正4年(1915年)の夏でした。この時、湯の沢を訪れ、自分のやるべき道を見つけたのだろうと思います。翌年の5月、リー女史は湯の沢に引っ越して来ます。そして、全財産を投げ打って、ハンセン病患者たちのために一生を捧げるのです。
リー女史は草津温泉で、救ライ活動を20年余り続け、患者たちから「かあさま」と呼ばれて慕われます。晩年は体調を崩して、兵庫県の明石に隠棲し、昭和16年(1941年)12月、84歳の生涯を閉じます。その年、アメリカでハンセン病が完治する病気だと実証されています。
コンウォ-ル・リ-女史の生涯と偉業
ラベル:草津温泉