2006年10月14日

粟田口善法

村田珠光の弟子に侘び茶の名人と称された粟田口善法がいます。
京都東山の粟田口に草庵を結んで、行き交う人にお茶を勧めていたといわれます。名物茶道具など一切所持せず、燗鍋一つだけで食事も茶の湯も楽しんでいたようです。
豊臣秀吉が善法の事を聞いて、善法が持っていた燗鍋を捜させましたが見つからず、利休に同じ物を作らせて、それを愛用したと伝えられています。
善法に関してはそれ以上の事はわかりません。そこで私は考えました。
善法は応仁の乱の頃、「伏見屋」と称した羽振りのいい商人で、幕府の重臣たちとも取り引きをしていました。しかし、ある日、足軽連中に店を襲撃されて、家族を殺されてしまいます。
家族を失った伏見屋は生きる目的を失い、奈良にいた師の珠光を訪ね、珠光の茶の湯のために全財産を使い果たします。無一文になった伏見屋は、銭が泡と消えたので、銭泡と名乗り、頭を丸めて放浪の旅に出ます。
一流の茶の湯の腕を持ちながら、銭泡は乞食坊主として各地をさまよい、関東を旅している時に、空腹で倒れてしまいます。その時、助けてくれたのが、江戸城主の太田道灌の父親でした。銭泡は助けてくれたお礼に茶の湯を披露します。
珠光が編み出した『侘び茶』は関東でも有名になっていましたが、教えてくれる者はまだ関東にはいません。銭泡が『侘び茶』を心得ている事を知った道灌は銭泡を江戸城に招待します。そして、道灌に茶の湯の指導をする事になります。
その事が噂になって、銭泡は各地の大名から招待されて、茶の湯の指導をしていましたが、晩年には京都に戻り、名を善法と改めて隠棲しました。
という事にして、小説に登場していただきました。善法さん、間違っていたら、すみません。きっと、怒らないと思いますが‥‥‥

 伏見屋銭泡の略歴

陰の流れ《愛洲移香斎》第三部・本願寺蓮如   陰の流れ《愛洲移香斎》第四部・早雲登場

※銭泡は陰の流れ第三部・本願寺蓮如の17.早雲庵に登場し、第四部・早雲登場では太田道灌と共に重要な場面に登場します。

銭泡記〜太田道灌暗殺の謎


わび茶への道  よくわかる茶道の歴史  茶の湯の文化史  すぐわかる茶の湯の美術
ラベル:茶の湯
posted by 酔雲 at 12:08| Comment(0) | TrackBack(1) | 戦国時代>人物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック

謎に包まれた秀吉初期の人生
Excerpt: 秀吉の父の弥右衛門は百姓であったとされるが、百姓=農民とするのは後代の用例であり...
Weblog: 豊臣秀吉 年表 豊臣秀吉の年表と歴史と歩み…
Tracked: 2006-10-14 15:54