夕雲が8歳の時、関ヶ原の合戦が起こって、11歳の時、徳川家康が江戸に幕府を開きます。22歳の時、大坂冬の陣があり、翌年、大坂夏の陣があって豊臣家は滅亡します。
徳川家によって天下は統一されましたが、徳川家に対する不満分子はまだ多く、戦が完全に終結したわけではありませんでした。いつ、反乱が起こるかわからない状況でした、腕に自身のある浪人たちは諸国武者修行と称して、自分を高く買ってくれる仕官口を捜して旅に出ました。
夕雲も武者修行の旅を続けていた1人でした。夕雲の場合は仕官口探しというよりは、強くなりたい一心で、自分の腕を試すという方が強かったようです。何度も真剣勝負をして勝ち続けますが、ある日、自分の剣術に疑問を持ちます。
自分は強くなったが、ただ、それだけでいいのか。本物の剣術というものはもっと大きなものではないのか。流祖、伊勢守の剣術はもっと大きなものだったような気がすると思い、悩みます。
虚伯和尚のもとに参禅したりして、悩み抜いたあげくに悟った極意が、相抜けという境地です。極意を悟った夕雲は新陰流を捨てて、新たに、無住心剣流を開きます。
流祖、伊勢守は新陰流を広めるために、いくつかの形を決めました。弟子たちはその形から入って行って、修行を積んで極意まで達します。伊勢守の考えた形は弟子たちに伝わり、弟子たちはさらに工夫を加えて、自分の弟子たちに伝えます。そうして、代々、形が重要なものとして伝えられて行きます。
形というのは剣術を極めるための手段の一つに過ぎなかったのですが、やがて、代々伝わって来た形そのものが重要なものだと勘違いしてしまいます。相手がこう来たら、こう返す、そう来たら、そう返さなければならないという風に形に囚われてしまいます。夕雲は自分でも知らないうちに形に囚われてしまっていた事に気づいて、そこから自分を解放したのです。
表現の仕方は違いますが、夕雲は流祖、伊勢守と同じ境地まで達したのだと思います。



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